国家機密暴露した「スクープ」の意外な舞台裏 記者が「ペンタゴン・ペーパーズ」入手した経緯

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1971年、国家機密文書だった「ペンタゴン・ペーパーズ」に関する記事掲載を祝うニューヨーク・タイムズ紙の編集長ローゼンタール氏(当時、写真右から3番目)と、記者たち。文書を入手したシーハン氏は写真右から2番目(Renato Perez/The New York Times)

ニューヨーク・タイムズの元記者ニール・シーハンが語ろうとしなかったことが1つある。ベトナム戦争に関するアメリカ国防総省の秘密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」をどのようにして入手したかだ。

同文書を暴露した1971年の大スクープは政権とメディアの全面対決に発展。ニクソン政権はニューヨーク・タイムズなどを告訴し、記事を差し止めようとしたが、連邦最高裁で敗訴。「報道の自由」を認めたこの最高裁判決は、政府とメディアの関係を左右する画期的な事件として歴史に銘記されることとなった。

7000ページに及ぶ政府機密文書を手に入れた瞬間から2021年1月7日に死去するまで、シーハンは「世紀の大スクープをものにした具体的な経緯を話してもらえないか」という依頼をほぼすべて断ってきた。シーハンは現地特派員としてベトナム戦争を取材。同戦争に関する著作でピューリッツァー賞を受賞している。

4時間のインタビューで事実が明らかに

しかし2015年、ある記者の依頼に対し、自身の存命中には公開しないという条件で舞台裏を明かすことに同意した。脊柱側湾症とパーキンソン病に悩まされていたシーハンが、首都ワシントンの自宅で行われた4時間にわたるインタビューで詳細に語ったのは、まるでハリウッド映画のようなサスペンス満載のストーリーだった。

ペンタゴン・ペーパーズは現代ジャーナリズムが暴き出した最大の機密文書と言っても過言ではない。1967年に国防長官が命じて作成させた極秘文書で、そこにはベトナムに関するアメリカの政策決定の歴史が記されていた。それが暴露されたことで、歴代政権が介入政策の成功に疑念を抱きつつも、そうした事実を隠しながら戦争への関与を深めていった様子が初めて白日の下にさらされた。

シーハンは、秘密のネタ元からの明確な指示に背いた、と明かした。そのネタ元とは、報道開始後に別の媒体の記者によって正体が暴かれることになるダニエル・エルズバーグ。国防総省の元アナリストで、軍事シンクタンク「ランド研究所」勤務時代に極秘文書の作成に関わった人物だ。

エルズバーグは1969年、法を犯して極秘文書の全文を複写。文書をリークすることで、ベトナム戦争の終結を早めようとしていた。エルズバーグは、ベトナムの現実を深く知った結果、熱心な反戦論者となっていた(2015年のインタビューでシーハンは、エルズバーグの素性はプロジェクト期間中、担当の編集者にも明かしたことはなく、つねに「ネタ元」とだけ呼んでいたと話した)。

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