国家機密暴露した「スクープ」の意外な舞台裏 記者が「ペンタゴン・ペーパーズ」入手した経緯

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一般に信じられているのとは異なり、エルズバーグは機密文書をニューヨーク・タイムズに「渡した」わけではない、とシーハンは強調した。エルズバーグはシーハンに、文書を閲覧するのはいいが、複写してはならない、と言った。そこで、シーハンはエルズバーグが文書を隠していたマサチューセッツ州ケンブリッジのアパートから文書をこっそりと持ち出したのである。持ち出した文書はエルズバーグ同様、違法にコピーし、コピーした文書をニューヨーク・タイムズに運び込んだ。

シーハン記者。1972年、ニューヨーク市内のニューヨーク・タイムズ本社編集局にて(写真:Renato Perez/The New York Times)

それから2カ月にわたって、シーハンはエルズバーグを欺き続けた。文書を最高の形で報道するにはどうするのがいいか編集者たちがまだ議論を続けていてね、私も別の案件に駆り出されて思うように作業が進められなくて……。

そう言い訳するシーハンだったが、実際にはマンハッタンのミッドタウンにあるホテルの1室に文書を持ち込んでこもりっきりとなり、記事化に向けて猛烈な勢いで仕事を進めていた。ニューヨーク・タイムズの編集者および記者から成る特別チームもシーハンと一緒にホテルに缶詰となり、その人数は瞬く間に膨れ上がっていった。

記事掲載、エルズバーグは「寝耳に水」

ペンタゴン・ペーパーズ報道の第1弾は1971年6月13日に掲載されることなる。だが、エルズバーグにとってこれは寝耳に水だった。掲載が迫っていると連絡してきたのは、数カ月前からエルズバーグとひそかに文書の抜粋を共有していたニューヨーク・タイムズの別のスタッフ、アンソニー・オースティンだった。オースティンはこの特ダネをニューヨーク・タイムズの人間に伝えていなかった。ベトナム戦争について執筆中だった自身の著作のために取っておこうと考えていたのだ。

自身の特ダネが自身の所属する新聞社によってすっぱ抜かれることを知ったオースティンは、大慌てでエルズバーグに電話をかけた。エルズバーグはシーハンに連絡を取ろうとしたが、続報の締め切りに追われていたシーハンは、印刷が進んで、もはや記事掲載を阻止できなくなるタイミングになるまでエルズバーグからのメッセージを無視し続けた。

1万部が刷り上がったら教えてほしい。シーハンは編集者の1人に、そう頼んだという。

エルズバーグは、以前からシーハンのネタ元だった。そうした関係からエルズバーグは1971年3月にワシントンを訪ねた際、シーハンに電話して、シーハンの自宅で一晩を過ごすことになった。夜中に長時間話し合った2人は、ある取引を行う。シーハンによれば、その内容はこうだった。エルズバーグは秘密文書を提供し、文書を報道することが決まった場合、ニューヨーク・タイムズは情報源の秘匿に全力を尽くす。

ところが、シーハンが文書を受け取りにケンブリッジに赴くと、エルズバーグは考えを変えていた。エルズバーグはこう言ったという。文書は読んでもいい、だがコピーはダメだ──。

エルズバーグは、2002年に出版された自身の回想録『Secrets: A Memoir of Vietnam and the Pentagon Papers(原題)』で、ニューヨーク・タイムズが本当に自分の望んだように文書の全容を公開するのか疑問を感じていたと記している。

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