私たち翻訳研究者が担った役割は、まったく異なる分野から来た人たちの議論をつないで機能させることでした。英語と日本語をつなぐような言語的なこともそうですし、話をかみ砕いて伝える、文脈を足すということもそうです。
同時に参加者が議論した内容のデータを取りました。科学者とアーティストを交ぜると、どういう新しい議論、行動が起きるか。それを調査しようとしています。ハイブリッドイノベーションプロセスの言語行動分析です。科学技術とアートの融合を促進するプロセスを概念モデル化して、超学際的研究や教育、人材育成に応用できるようにする。その研究に取り組んでいます。
「本当にその訳文でよいのか」批判の目を忘れない
――野原さんが注目する「アート思考」。何が期待できそうでしょうか。
翻訳学で1964年ごろからずっと使われている図があります。原文が訳文として再表出する、翻訳の流れを示した概念図です。原文は、まず意味がデコード(解釈)されます。次に、そのデコードされた意味が転移し(意味のシフト)、そこから訳文が出てきます(再表出)。つまり、翻訳の過程では意味や情報のシフトが起こると言われています。
ここでいう「再表出」には、方向性がいろいろある。このたびの新型コロナウイルスの問題でいえば、政治側が前述の「8割おじさん」の情報を原文として翻訳をかけたときに、最初に出した答えが自粛。それが時が経つにつれてだんだん変わり、自粛とは真逆に人の肩を押す「Go Toトラベル」にまで変化している。
シフトの幅が大きくて、たいした翻訳もあったもんだと思うのですが、現実ってそういうことですよね? 徹底して感染を避け続けてみんなが自粛し、挙げ句、倒産・廃業し、自殺者が増えたら困る。だから、誰かが翻訳にマネジメントをかけて、そういった訳文を出していくわけです。
翻訳研究者はそれを批判するのではなく、客観的に記述していく立場です。でも「原文はいったい何だったのか」ということには、批判の目を忘れてはならない。「本当にその訳文でいいんですか」という批判です。ここに批判的な目を入れる1つの仕掛けとして、アート思考があるんじゃないかと私は思っています。
取材:益田美樹=フロントラインプレス(FrontlinePress)所属
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