最初は通訳になりたいと思っていた
――研究者になるまで、どんな道をたどってきたのでしょうか。
僕は「国」というものが嫌いだから、(出身国は)絶対に書かないで。出身地を問われたら、僕はいつも「無所属です」「赤ちゃんだったので覚えてないけど、病院で生まれたと聞いています」などと答えているんです。人間ファーストでいきたいんですね。
高校のとき、歴史に興味を持ち、最初は通訳になりたいと思いました。
現代史の授業で冷戦を勉強し、夏休みの宿題が「新聞を切り抜いて冷戦に関するスクラップを作りなさい」だった。その記事の中で、ソ連のゴルバチョフとアメリカのブッシュが大笑いしている写真を見たんです。その両人の間に通訳が入っている。核兵器いっぱい持つこの2人を仲良く笑わせる通訳はすごいなあ、と。英語しかできなかったので、なにか外国語を学ばなければと思い、日本に来ました。
大阪大学大学院で、国際紛争や国連安保理の研究を手掛け、メディアの研究もやって博士号を取りました。研究者になる前は、特定非営利活動法人「AMDA」(本部・岡山)の職員でした。保健医療や貧困削減、開発系の仕事です。
カンボジアで約2年、ザンビアで約3年。いろんな世界を見ることができましたし、現場感覚を磨くことができましたが、壁も感じたんですね。
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