――そもそも、なぜ、翻訳を研究対象に?
最初は言語学、特に日本語学をやっていました。英国に留学して博士号を取ろうと思ったときに、テーマですごく迷った。先生や友だちとの間で誤解があったり、論点がずれていたりすることもたびたびあって……。
留学中ということもあり、言語の持つ危うさといつも隣り合わせだったんですね。「なんで自分が思っていることが伝わらないのか」「どうして言ったことが一人歩きしていくんだ」とか。
そういう生のディスコミュニケーションにゴツンゴツンぶつかる状態にいたときに、翻訳学というコンセプトに出合ったわけです。ガツンとくるものがあった。ぐらぐらしながら生きている自分そのものを研究対象にするような学問分野があるんだ、と。「これだ!」って思いましたね。
翻訳すると実体のないものがバレる
――務め先を得た東京工業大学では、どんな発見があったのでしょうか。
東工大は、理工系の研究室が圧倒的に多いので、最先端の科学技術系のコンテンツにたくさん出合うようになり、そのコンテンツを社会、つまり専門外の人々と共有していくにはどう翻訳すればいいか、という問いが生じました。気づいたのは、何かを英語にするにしても、一般の人にわかるように言い換えるにしても、「中身がないと崩れる」ということです。
たいした実体もない内容は、翻訳していくとバレちゃう。「言い換える」という作業は、本当に意味があるかを確認する最高の方法だと思います。
世界文学と言われる文学作品がずっと残ってきたのは、「翻訳に耐えられたからだ」といわれます。翻訳されることで意味の再発見、再構築もたくさんある。翻訳で崩れてゼロに、場合によっては倍になっていく。それが面白いところだと思います。
――東工大では、サイエンスコミュニケーションにも取り組んでいるわけですね。翻訳学の立場から見ると、それはどんな性質のものでしょうか。
サイエンスコミュニケーションは当初、「欠如モデル」がベースにありました。情報を持っている科学者側が知らない人たちに知識を与えましょう、という啓蒙活動です。
クローンであったり、遺伝子組み換え食品だったり、人々がモヤモヤした感情を持つコンテンツってあるじゃないですか。科学者側からすると、そうした人々の反感や恐怖は、知識の欠如で生まれていると思えたわけです。だからまずは正しいことを教えよう、と。
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