戦国武将がひっそり食べた「牛肉料理」の正体 歴史小説家が資料をもとに当時の食事を再現
宣教師が信者たちにふるまった後、皆、大喜びしたというのもうなずける。右近がふるまったのがこのアロス・コム・ワカだったとしたら、忠興も氏郷も黄色い飯という見た目には驚いただろうが、米が一緒だということで、いきなり牛を食べるよりは、よほど食べやすかっただろう。
一方の牛鍋だが、京都風の甘口米みそ(白みそ)だと優しすぎるのか、肉のにおいが少し鼻についた。ひょっとしたら、風味が強い豆みそのほうが牛肉には合ったのかもしれない。だが、まだ牛肉に対する知識も技術も未熟だった時代の話である。この中途半端さがかえって当時の実態に近いように思われる。
さしが入った牛肉など当時あるわけがないので、国産牛の脂肪の一切入っていないもも肉である。一口食べた感想はパサパサ。しかし、噛んでいるうちに、肉の風味が、いやがおうでも食欲を刺激する。
残念ながら、米みそとの取り合わせはあまりしっくりいっていないようだが、このぎごちなさも、当時の日本人の牛肉に対する驚きと戸惑いをあらわしているようで、なんだか愛おしく感じる。
一方、ネギとカブは息があうようである。牛肉のダシが染みて、ほくほくとうまい。ほかのレシピを見ると、獣肉の種類によって付け合わせの野菜を変えているようなので、牛肉に合うのがどれか日本人はすぐ見つけてしまったようである。戦国時代の人々は胃袋だけでなく、頭の消化もなかなかよい人たちだったに違いない。
「人は食べるものそのもの」
ドイツの有名な哲学者フォイエルバッハは「人は食べるものそのもの」と述べた。イザナミは黄泉の国に迎えに来てくれた夫イザナギに「この国の食べ物を食べてしまったので、もう帰ることはできない」と答えた。
食べ物の禁忌を破ったら、もう元の自分に戻ることはできないのだ。それは、あれほど牛肉の禁忌にうるさかったはずの日本人が、明治維新で解禁になった後はそのおいしさにやみつきになり、ついには和牛が世界的な最高級ブランドの1つになってしまったことからもわかる。
むきになって牛肉食を非難した秀吉は、食の禁忌を破ることの恐ろしさを誰よりもわかっていたに違いない。そして、牛肉のおいしさも。というのも、実は、宣教師のルイス・フロイスがこんな記録を残しているのだ。
「私たちの食物も彼らの間ではとても望まれております。とりわけ、これまで日本人が非常に嫌悪していました卵や牛肉料理がそうなのです。太閤様までがそれらの食物をとても好んでいます」(『完訳フロイス日本史』ルイス・フロイス著、松田毅一・川崎桃太訳)
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