戦国武将がひっそり食べた「牛肉料理」の正体 歴史小説家が資料をもとに当時の食事を再現
牛肉食がタブーだった時代
日本における食のタブーで有名なのは「肉食の禁忌」だ。幕末から明治にかけて、日本を訪れた外国人たちの多くが、日本人が肉を食べず、自分たちが食べるのを見るのも嫌がったと証言している。
だが、戦国時代の食を調べていくと、どうも違う実態が見えてくるのだ。当時の記録によると、戦国時代の日本人は、猪や鹿はおろか、犬、猫に至るまで食べていたのだ。それも卑しい庶民がではない。武士や貴族、果ては僧侶まで獣肉を口にしていた。ただ、食肉として牛を食べることはめったになかった。それはいったいなぜなのか?
この問題に対する見解を、超有名な戦国武将が述べている。
「牛馬は人間に仕え有益なる動物であるに、何故に之を食ふ如き道理に背いたことをなすか」(『イエズス会日本年報』村上直次郎訳)
天正15年(1587)、豊臣秀吉が宣教師クエリヨに対して伝えた言葉である。同年6月19日に発布されたキリスト教禁制の「一 牛馬を売り買いころし、食う事、是れ又曲事たるべき事」の論理的根拠とされている。ちなみにこれと似たような言葉が、266年後、再び西洋人に向けられる。
「わが国の人民、渡世のために飼っている牛馬は、重き荷を負って遠くに行き、人力を助くるが故に、その恩を用いて食うことなし」
嘉永6年(1853)、黒船に乗ってきたアメリカ人に、日本側はこう言って、牛肉の要求を拒絶したのだった。対して宣教師側は、より情緒的に日本人の牛肉タブーを解釈していた。
「……日本人は生来脂肪を嫌うが、ただ宴会や平常の食事では、狩の獲物の肉だけを使う。それは彼らが手飼いのものを不浄とし、自分の家で育てた動物を殺すのは残酷だと思うからである」(『日本教会史』ジョアン・ロドリーゲス著、佐野泰彦ほか訳)
いわば秀吉は功利主義の立場から、宣教師は文化主義の立場から、日本の牛肉食タブーをとらえていたことになる。
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