戦国武将がひっそり食べた「牛肉料理」の正体 歴史小説家が資料をもとに当時の食事を再現

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松浦は海外貿易に積極的な武将で、平戸にオランダ商館が開かれたのは、もっぱらこの人物の働きかけによるものである。むろん、好奇心が強く、開放的な気質の持ち主だったのだろう。牛だろうが、豚だろうが、葡萄酒だろうが、白パンだろうが、何でも食べて、一切の禁忌がない。肉は煮込んで食べることが多かったようだが、一緒に煮込む具材はネギ、カブと、現代のすき焼きとそう違いはない。

では、調味料は何だったのか。江戸時代の牛肉食の記録を読み解いていくと、どうも当時、牛はみそと一緒に食べるものと考えられていたようである。これは牛の肉が大変臭かったせいで、他の猪などの獣肉と同様、獣臭を消すためにみそを用いたものと思われる。

例えば、彦根井伊家は、幕府に陣太鼓を献上する役目のため、近江牛を飼育する牧場と畜場を持っていたが、その副産物として牛のみそ漬けが名物だった。将軍や有力大名に贈っていたようだが、ファンも多く、水戸の徳川斉昭がお礼を述べた手紙が残っている。

江戸時代にこれだけの傍証があれば、戦国時代にもみそ仕立てでカブ・ダイコンやネギとともに煮込んだ鍋があったと断定してもよさそうだ。ちなみに、幕末から明治にかけて、次々と牛鍋屋ができていくが、そのときの味付けも、みそ仕立てで、具はネギのみが多かった。解体や冷蔵の技術が進み、臭わない、新鮮な牛肉が手に入りやすくなってから、しょうゆと砂糖の割下というわれわれにもなじみのある味付けになったのだ。

2つの牛料理にチャレンジ

アロス・コム・ワカと牛鍋の2つが出たので、両方とも作ることにした。まず、黄飯のレシピに従い、鶏がら出たダシをとったスープでクチナシを煮出し、黄色い汁を得る。オリーブオイルはさすがに戦国時代の日本になかったと思うので、菜種油でたっぷりのニンニクを炒めた後、生米と牛肉を加え、塩で味を調えつつ、先ほどの黄汁で煮詰める。アロス・コム・ワカである。

実際に作った牛肉料理(写真:筆者撮影)

牛鍋の方は、牛肉、ネギ、カブに酒とみそを加えシンプルに煮込んだ。高山右近、蒲生氏郷、細川忠興の3人は、全員が近畿、つまり甘口みそ文化圏の出身であるため、甘口の米みそにした。

まずはアロス・コム・ワカから食べてみる。クチナシでもサフランを使ったときと同じように米が鮮やかな黄色に染まり、見た目は普通のパエリアとまったく変わらない。オリーブオイルではないため、味が素直すぎて、もうひとつ物足りなさを感じるが、「普通においしい」パエリアである。

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