児童養護施設育ちの男性が「薬物」に苦しむ事情 施設退所後の孤独に耐えかねて薬に手を出した

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指折り数えて帰る日を待ち望んだ施設も安心できる場所ではなかった。ちょうど同じ時期、同じ部屋の中学生から性的虐待を受けた。被害は中学校に入るまで、複数の年長の子どもたちによって断続的に続いたという。

「初めは(行為の)意味がわからず、ただ『苦い』という記憶があるだけ。虐待だとわかった後も職員には相談しませんでした。告げ口をしたらひどいいじめに遭うことがわかっていたから……。同じように口をつぐんでいた子どもはほかにもいたと思います」

初めて会った父親から言われた言葉

父親と初めて会ったのは、中学3年の進路相談の時期。親子らしい会話もないまま、教師との三者面談の日を迎えた。そこで父親が「息子は高校には行かせません。就職です」と一方的に話すのを黙って聞いていたという。

このときはトシユキさんが施設の職員に進学したいと訴え、公立高校に通うことができた。ただ高校を卒業するときは経済的な事情から「就職が唯一の選択肢」。しかも両親との交流は再び途絶えており、緊急連絡先などが必要な賃貸アパートを借りることもできなかった。就職先は寮付きの警備会社を選ぶしかなかったという。

18歳の春、児童養護施設を退所。トシユキさんは施設での暮らしをこう振り返る。

「周りの子どもたちは親に対してよく『こんなところに入れやがって。むかつく』と怒っていました。でも、僕は物心ついてからずっと施設なので、『こんなところ』と言われても、いまひとつピンとこなかったことを覚えています。

(性的虐待など)嫌な思い出もありますが、両親の反対を押し切って高校に行かせてくれたのも施設の職員でした」

就職して2年。トシユキさんは進学の夢を諦めることができず、警備会社を辞めると新聞奨学生として働きながら物流関係の専門学校に通った。「専門学校を2年間で卒業すると、ちょうど(4年制の)大学を卒業する年齢と同じですよね。普通の家庭で育った人たちと同じ土俵で勝負してみたかったんです」とトシユキさん。

専門学校を出ると、いったん小売り関係の会社に就職。その後、大手自動車メーカーの工場で派遣労働者として働き始めると、1年後には正社員登用試験に見事合格した。

努力が着実に実を結びつつあるようにも見えたが、施設を出て以降、トシユキさんをむしばみ続けたものがあった。底知れない孤独感である。

「誰もいない家に帰るのが寂しくて、寂しくて。嫌なことや困ったことがあっても、頼れる人も、相談できる人もいない。やるせなさが募りました。自分みたいな人間が生きていてもいいんだろうかといつも思っていました」

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