発達障害と診断後、本当の地獄が始まった
「もっと早く、誰かに見つけてほしかった」
昨年、発達障害と診断されたソウスケさん(仮名、26歳)はこう繰り返した。早稲田大学政経学部を卒業。しかし、出版社での勤務も国家公務員の職場も長くはもたなかった。「あがいても、あがいてもどうにもならないことがたくさんありました。早期発見されていれば、あそこまで苦しむことはなかったのではないか思うと、今も悔しい気持ちです」。
ソウスケさんが長年生きづらさを抱える中、周囲からは容赦なく罵倒された。
「ふざけてんのか!真面目にやれよ」
「高学歴なのに、どうしてそんなにバカなんだ?」
「できそこない」「甘えている」「怠けているだけ」──。
こうした罵詈雑言は彼自身に「自分は人間失格なんだ」と思わせ、自己肯定感を奪い去るには十分だった。会社を辞めた後、注意欠陥障害(ADD)と自閉症スペクトラム(ASD)とわかったが、時すでに遅し。このころには抑うつや不眠などの二次障害を発症していた。そしてソウスケさんに言わせると、本当の地獄はむしろここから始まった。
「診断直後はホッとしました。予想も覚悟もしていましたし。それなのに、心の奥底で拒否感が拭えませんでした。25年間、“健常者”だと思って生きてきたので。障害者になったことを受け入れられなかったんです。
通い始めた障害者向けの就労移行支援事業所の職員から、まるで子どもに対するようにゆっくり話しかけられ、『よくできましたねー』と言われたとき、『本当に障害者になっちゃったんだな』と思いました。ショックでした。『どうして自分なんだ』『なぜ誰も見つけてくれなかったんだ』。そう思うと、言いようもない怒りが煮えたぎりました」。
慰めてくれる母親に「なんで生んだんだ」と当たり、「発達障害なんて甘えだ」と責める父親と何度もつかみ合いの喧嘩になった。もともとおとなしく、内向的な性格だっただけに、ソウスケさんも自らの内側にある攻撃性に戸惑ったという。
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