児童養護施設育ちの男性が「薬物」に苦しむ事情 施設退所後の孤独に耐えかねて薬に手を出した

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ちょうどこのころ音信不通だった父親から10年ぶりに連絡がくる。妹が結婚することになったので、両家の顔合わせの席に出席してほしいと言われたのだ。以前、トシユキさんは母親の暴力が原因で生後間もないころに乳児院に預けられたと教えられたが、それとは別に両親と暮らす妹がいることも聞いていた。ただ会うのはこのときが初めて。

その後は親族らの意向もあり、トシユキさんが両親の面倒を見ることになった。トシユキさんは20代半ばにして初めて両親と暮らすことになったのだ。

しかし、病状が悪化していた母親との生活は、たびたび警察や精神科病院を巻き込んだトラブルに発展。父親はトラック運転手だったが、ギャンブルが原因の借金が2000万円もあることがわかった。両親の尻ぬぐいに追われるトシユキさんに対し、父親は労をねぎらうどころか「俺は施設に(入所費用として)金を払っていた。だからお前は俺が育てたようなものだから」とうそぶいたという。

このころ、トシユキさんは父方の祖父母に仕送りをしたこともあった。愛情深いとはいえない家族になぜそこまで尽くすのか? 私が尋ねると、トシユキさんはこう答えた。「家族として認められたかったんでしょうね。父から連絡があったとき、僕はうれしかったんです」。

人との「距離感」がつかめない

もともと人との距離感がつかめず人間関係はつまずきがちだった。トシユキさんは知人や同僚に施設で育ったことや両親の虐待について包み隠さず話すのだが、その際に相手にも「自分のすべてを受け入れてほしい、自分のことを一番に考えてほしい」と際限なく求めてしまうのだという。多くの場合期待は裏切られる。「“ほしいほしい病”ですね」とトシユキさんは自らを分析する。

トシユキさんは明言しなかったが、「極端な寂しがり屋」「周囲の歓心を買いたがる」という性質は、彼の生い立ちとも無縁ではないだろう。

家族との関係も同じだった。冷静に考えれば20年以上も交流がなかった家族との絆を結びなおすことなど容易ではない。にもかかわらず、トシユキさんは家族に受け入れてほしい、ただその一心で全精力を傾けた。

そして案の定期待は打ち砕かれた。妹の結婚がほどなくして破綻したのだ。トシユキさんにしてみると「妹を守るために、両親と同居までしたのに」という思いがあった。当時は正社員になったことによるプレッシャーも重なったという。期待が切実だった分、失望も大きかった。妹の離婚をきっかけにトシユキさんの中で何かが破綻。その後は坂道を転げ落ちるようにあらゆる薬物に手を出した。

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