「かわいい」にルールはない
たとえばある女性が、店頭の白いレースのワンピースを見て「かわいい」と言ったとします。
それはあくまで「今ここにあるワンピース」がかわいいということ。その女性が白が好き、レースが好き、ワンピースが好き、ということとは、必ずしも一致しません。繰り返しになりますが「かわいい」とは、「今、私の心が揺さぶられている!」という主観なのです。
男性は哀れにもそれをなんとか頭で理解しようとするので、自分の彼女・奧さんが白いワンピースを見て「かわいい」と言えば、そこから「白い服」「レース」「ワンピース」などの記号・普遍性を読み取ります(勝手に)。「なるほど、彼女はこういうのが好きなのか」と。そしてかわいそうなことに、次回のプレゼント選びに生かそうとします。
しかし、後日、彼女の誕生日に白いスカートやワンピース、レースの小物をプレゼントしても、たいていの場合は失敗に終わるでしょう。
「この前、かわいいって言ったじゃん!」と抗議しても無駄です。この前はこの前、今は今。あのとき、あのワンピースに心が揺さぶられたのであって、そこから共通項を導き出されても困る、ということです。「あれ? 白が好きなんじゃないの?」「君って、ワンピース好きでしょ?」と決めつけようものなら、「私の『かわいい』を、勝手にそちらの理屈で体系立てるな!」と反発されることは必至です。
「いい・悪い」にも理由はない
さて、もちろん職場の会話で「かわいい」が使われることはほとんどないでしょうが、代わりに使われる「いい」もほとんど同じ意味です。
・提案に対して意見を求められて「いいと思います」
・「●●部長って、ほんとにいい人ですよね」
・営業の手応えを確認されて「はい、いい感じです」
どの答えにも、明確な基準はありません。「理由は?」「どう、いいの?」と問われると、「なんとなく……」と口ごもってしまうことも少なくありません。
いや、もちろん理由はあるのですが、一言で言えるようなものではないのです。
女性の脳はとてもスペックが高く、多くの情報・価値観・経験・感覚を踏まえて、超高速で総合的に判断します。その結果、「ぐっときた」から「いい」と言うのです。
そのエスパーのような思考過程は、いちいち「理由は3つあります」とロジカルにまとめられるものではないのです。
つまり、女性の「いい・悪い」の判断に、理由を問うのは「野暮」ということ。男性が「善悪の基準」に照らし合わせてジャッジするのとは違うのです。
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