日本が病気の予防を軽視してきた根本的な事情 エビデンスに基づいた政策立案が今こそ必要だ

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佐藤:大変心強いです。政治や行政の側も、自分たちがどこまでやるのかという範囲をわきまえ、研究者やアカデミアの方々に任せるべきところは任せるということが必要です。研究者の方々には中立的な立場で、エビデンスをしっかりつくってもらって、政策に反映してもらうことが必要です。

最近、EBPMという言葉がだいぶ浸透してきましたが、一方で行政が、「自分たちのやることを正当化するためのエビデンス」だけを集めているということが起きています。これはEBPMならぬPBEM(Policy-Based Evidence Making)です。これでは、真っ当な行政運営はできません。政治や行政には、エビデンスをつくっていく専門家の方々の中立性を担保することが求められます。

津川:実はこれは研究者側にも問題があるのかもしれません。エビデンスが政策に反映されないということを経験すると、研究者の中にはエビデンスが無視されていると感じてしまう人もいます。

エビデンスは“正解”ではなく“判断材料”

しかし、エビデンスはあくまで“判断材料”でしかなくて、“正解”ではありません。EBMにおいては、実際に医療現場で患者さんに「AとBという2つの治療法があって、それぞれこういう治療成績のデータがありますよ」という話はしますが、最終的な意思決定は患者さんの価値観などを総合的に判断して決めるべきものです。最終的な決定がたとえ医学的に最適解でなかったとしても、エビデンスを患者さんに押しつけてはいけません。

EBPMでも同様に、エビデンス上は「A」が最適であるものの、政治的な判断で「B」という政策を選択せざるをえないということは、往々にしてあります。

日本の場合、このエビデンスと政策立案過程の境目があいまいで、「エビデンス=正解(とるべき政策)」と考えてしまっている政策立案者も研究者も多いと思います。それだと政策とエビデンスが乖離するわけにはいかなくなるので、エビデンスをつくる研究者も忖度してしまうようになります。政策立案者も、政治的な決定を変えるために、もととなっているエビデンスを変えようとするようになります。もしくは、政治的な決定と矛盾しないような、都合のいいエビデンスをえり好みして、政治にエビデンスを合わせるようになってしまいます。

政策立案の過程の中には、研究者の知らないことが数多くあります。そこをちゃんと考慮して、最終的な意思決定は政策立案者の方に任せるという、適度な距離感を持つことが必要です。

佐藤:意思決定者と専門家が各々の持ち場で力を発揮しつつも、互いに対話はしっかりできるという関係をつくり上げていきたいですね。

(構成:二宮 未央/ライター、コラムニスト)

中室 牧子 慶應義塾大学総合政策学部教授、東京財団政策研究所研究主幹

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なかむろ まきこ / Makiko Nakamuro

1998年慶應義塾大学卒業。アメリカ・ニューヨーク市のコロンビア大学で博士号を取得(Ph.D)。日本銀行や世界銀行での実務経験を経て、2013年から慶應義塾大学総合政策学部准教授に就任し、現在に至る。専門は教育を経済学的な手法で分析する「教育経済学」。

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