ジェネラリストは不要? 世銀の採用基準とは まさに最前線、アフリカの脆弱国家を救うために戦うナナロク世代

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緒方貞子さん直々の言葉を胸に

――それではまずは、世界銀行のアフリカ局に入ってからの、日々の業務について簡単に教えてください。

現在、アフリカの中では比較的安定した西アフリカのセネガルを拠点に、周辺の紛争が終結したばかりの国や、情勢が不安定な、いわゆる脆弱国家と言われる国を対象とする仕事をしています。政府の財政や行政の再建・改革支援など、国の根幹を立て直す非常に重要なプロセスにかかわらせてもらっている、それが今の私の仕事です。

――もともと海外志向は強かったのですか?

海外志向が強いというよりは、むしろ開発援助の世界で仕事をしたいと思った時点で、海外に出て行くことが必然になりました。開発援助に興味を持ったきっかけは、今から思えば、高校を卒業する1994年に起きたルワンダの大虐殺に衝撃を受けたことでした。当時、緒方貞子さんが、国連難民高等弁務官(UNHCR)の先頭に立ち、UNのブルーヘルメットをかぶって、ルワンダ、コンゴの紛争と難民問題解決に現場を飛び回っていらしたことを鮮烈に覚えています。

――その緒方貞子さんから命を受けて、JICA時代の長木さんはコンゴへ赴任されたのですよね。

国境貿易改善のため訪れたコンゴ民東部で、国連PKOパキスタン第一大隊とコラボ

はい。ずっと尊敬していた方との、一生忘れることのできない出来事でした。8年前、JICAで担当していたコンゴ民主共和国は、初の民主的選挙を前に銃撃戦が続いているといった状況でした。その時期に現地へ出張した際、大きな交通事故に遭ってしまい、重傷を負ってチャーター機で緊急移送されたのです。復帰後、当時のJICA理事長だった緒方貞子さんから呼び出しを受け、理事長室にサシで座らされ……おそらく人生で最も緊張した瞬間です(笑)。

「危険な目に遭わせて申し訳なかった。ごめんなさいね」

緒方さんは深く頭を下げられました。もう言葉が出ませんでした。そして、まだ包帯ぐるぐる巻きの頭の私に、

「コンゴってのは、本当に大変なところです。でも、JICAはそこで支援を始めなくちゃいけないんです。だからこそ、あなたに行ってほしいのです」

と。そのとき、緒方さんの、トップとしての覚悟と意志をまざまざと見て、心が震えました。そして、「こんな自分にやれることがある。それが求められていることならば、喜んでやるべきだ」、そう心を決めました。

世界銀行からの一本釣り

――その後JICAを出ることになり、世界銀行へ入行してアフリカに残られたわけですが、どのようなプロセスで現職のポストは決まったのですか?

コンゴを離任するときには、脆弱国家・ポストコンフリクト国支援政策に関するJICA研究員のポストが決まっていて、東京に帰るつもりでいました。

ところが、よく一緒に仕事していた世銀のエコノミストから、急に「うちのチームに来ないか?」と誘いがあったのです。一般公募なしのポストで、面接一発、一本釣りの形で決まりました。国際機関では通常ありえない3カ月弱というスピードで、契約書にサインしました。

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