話し始めた島田さんはかわいげのある体育会系男子という雰囲気だ。人生設計が立たないというのは、結婚とキャリアの両立に悩んでいるのだろうか。恋人はいるの? はやる気持ちを抑えて、肝吸いをすすりながら慶応「お受験」話から聞くことにした。
「人生でいちばん勉強をしたのが小学校5~6年ですね。四谷大塚という塾に片道1時間かけて通っていました。電車の中でおにぎりを食べながら勉強していたな……。慶応の中等部は共学で、芸能人や医者の子どもがすごく多かったのです。うちは普通のサラリーマン家庭なので、姉と私を慶応に通わせるのは大変だったと後になって知りました。母親から『おカネがなくて新車を買えなかったのよ』と聞かされたことがあります」
新車が買えない程度では「おカネがない」とは言えない気がするが、島田さんはお金持ちの不良にはならず、学校行事に情熱を傾けていた。
「慶応女子は大学受験がないので、みんなが行事に燃えるのです。私は特に演劇祭に命を懸けていました。たいてい男役でしたけど(笑)。オリジナルの脚本と演出を生徒が作るんですよ。といっても、口に出すのも恥ずかしいくだらない内容ですけど」
くだらない、などと言いながらもいとおしそうに高校生活を振り返る島田さん。大学受験を意識し過ぎて、高校3年間をほとんどむなしく過ごした僕はねたましさすら感じる。通っていた都立の進学校は制服もない自由な校風だったが、僕はひたすら受験勉強をしていて、よき思い出はほとんどなく、今でも付き合いのある友達は数えるほどだ。愛校心の持ちようがない。
地方で実感した「三田会」の結束力
慶応の同窓会である三田会の結束は、島田さんのような中高からの生え抜き慶応生によって支えられている気がする。島田さんの場合、新人時代に地方の支局に転勤になった際に、三田会の強さを実感したという。
「各地方に三田会があるので助かります。私が赴任した県にももちろんあって、お金持ちのおじさんおばさんたちによくしてもらいました。みんな余裕がある遊び方をしています。飲み会の誘いが頻繁にあったりして、煩わしさを感じることもありますけど……。三田会のつながりで仕事の取材先を紹介してもらったこともありますよ」
ただし、テレビ局への就職は慶応人脈の影響ではない。島田さんは意外なほどまじめな志望理由を語ってくれた。
「高校3年生のときに地下鉄日比谷線の脱線事故がありました。そのときに亡くなった方のひとりが小学校時代の塾仲間だったのです。すごくショックを受けて、お葬式も出ました。それなのに、1年後にはニュースで『1年前に~』と聞くまで忘れていた。報道の量も(当時よりは)減っていました。
人間はどうしても記憶が薄れてしまう生き物ですよね。それでも報道すること、記憶の忘却にあらがうことが大事なことなのではないか。毎日飲んでばかりの学生生活の中で、ふとそう思ったのです。記憶を記録にしていくというか、報道ってなくなってはいけない仕事なんじゃないか、と。話が下手で、なんかすみません」
東京のテレビ局に入社し、志望どおりに報道畑に配属された島田さんは、地方支局で思い描いていた仕事をすることができた。
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