幡野広志「人の悩みに答える男」の偽らざる素顔 余命3年宣告された「なんで僕に聞くんだろう」

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20代前半のころ撮影スタジオのアシスタントの仕事をしていたとき、先輩方からいじめられる経験をしました。でもどんどん技術的に成長し、年齢や立場も上がっていくことで、自分がその人たちを追い抜くときがきたのです。そうなったときに、イジメ返すこともできますよね。僕はしませんが。でも、困っていても助けたいとも思わなくなってしまうんです。そんな自分の経験もあるので、若い人にこそ優しくしようとしてきました。僕の後輩は僕が困っていると助けてくれます。

親子関係も同じだと思いますよ。子どもが大人になったとき、親よりもいろいろな意味で強くなり、親を追い越しますよね。そうなったときに、親が子どもにどう接していたかという“答え合わせ”がされるのだと思います。

自分が将来子どもに大切にされたいのであれば、自分が子どもを大切にしたほうが、メリットはあると思うのです。感情ではなく損得勘定で動いたほうがいいと思います。介護してほしい、孫を抱かせてほしい、などという気持ちがあるのなら余計に、子どものことを大切にしたほうがいいですよね。

心配のさきにあるのは利己的なもの

――幡野さんの新刊には「心配のさきにあるのは自分が安心したいという利己的なもので、相手のことを考えているようで、考えていない」というくだりがあります。子育てをしていて、なかなかこのような考えに行きつくのには時間がかかることと思いますが、そのような考えに至った経緯を教えてください。

お母さんって、子どもの評価を自分自身の評価にしちゃうでしょ? 基本的に子どもの評価と自分の評価は別だと思っています。逆に、自分の評価を自分の母親の評価にされたら、嫌じゃないですか? 手柄もダメなことも、親のものにされたら嫌でしょう?

もともとはツイッターで相談に乗っていた幡野さんですが、文字数の制限があり、いいたいことがすべて言えないもどかしさからcakesで連載を始め、1冊の本にまとまりました(写真:©️Yukari Hatano )

なぜか自分がされて嫌なことを、親は子どもにしてしまうのです。自分の人生と子どもの人生は、別ものです。過干渉な母親と無関心な父親の組み合わせが多いのは、子育て以外何もない母親が、子どもの評価を自分の評価にしてしまう人が多いからかもしれません。

しあわせの価値観をいちばん押しつけてくるのが、親だったりします。子どものしあわせに向かって親が伴走するならいいんだけど、子どもの首に縄をつけて引きずりまわす親はわりといる、でもそんなことすれば、子どもは自分のしあわせを捨てて、親の顔色をうかがうだけです。

親子関係というのは積み重ねです。親の積み重ねの結果がいまのお子さんです。子どもが大人に成長したあとの親への態度は、親が子どもにしていた態度です。

―――ご自身がお子さんとの関わりの中で、他にも意識していることがありましたら教えてください。

子どもの感情を否定せず、共感することが大事であると思っています。

節分の日、僕の息子が保育園にやってくる鬼を本気で怖がっていました。鬼の正体は鬼の仮面を被った人間であることを、大人は知っています。妻は「大丈夫、怖くないよ」と言い聞かせましたが、3歳の息子にしてみたら“本物の鬼”です。そこで私は「お父さんも、鬼が来たら怖いよ」と言いました。すると息子は僕に、「大丈夫だよ」と言ってくれました(笑)。

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