幡野広志「人の悩みに答える男」の偽らざる素顔 余命3年宣告された「なんで僕に聞くんだろう」
“好き嫌い”が加速したのは人間関係も同じです。病気になる前は、苦手な人とも付き合いで会うこともありましたが、今は、会いたくない人には会いません。日常的にイヤなものを除外したことで、ストレスがなくなり楽になりました。
僕自身が変わったという意識はありませんが、周囲の人が変わったと思います。僕にどう接していいのか対応が難しくなり、よそよそしくなることで僕も対応を考えるようになりました。親族なんかはいい例で、話した記憶がない人が見舞いに来ると、「死ぬ前の思い出作りをしようとしているのかな」と思ってしまいます。
――病人に対して周囲の人は、どのように接するのがいちばんいい?
お金だけ置いていってもらうのがいちばんいいですね(笑)。
――家族にはどう接してもらいたいですか。
結局、健康なときの人間関係が反映されるので、仲のいい夫婦関係だったらそのまま仲良くしていられるし、不仲な家庭の場合は、離婚したほうがいいかもしれませんね。
健康な時の関係を無理くり変えようとしてもムダですよね。うちの場合は、健康のときとまったく変わっていないです。周囲がみんな変わってしまったので、妻が変わらなかったのは楽ですね。
人は人それぞれの、しあわせを享受するために生きています。好きな人のしあわせを願うことができて、その好きな人が自分のしあわせを願ってくれることがしあわせです。
夜は怖いが明るい朝にほっとする
――今何をしているときにしあわせを感じますか?
朝起きたときはしあわせですね。妻、息子、僕の川の字で寝ているのですが、朝の光を浴びながら目を覚まし、隣に寝ている息子を起こすとき、しあわせを感じます。それを毎日感じられるから、毎日しあわせです。夜になると怖くなりますが、明るくなる朝を迎えられるとほっとします。
――生きていると実感するのはどんなとき?
体調が悪くなればなるほど、生きている感覚を味わいます。健康のときって、「生きてるなあ」って思わないでしょ? 皮肉なことに、苦しければ苦しいほど、生きている実感が湧くのです。生きている実感は、案外死ぬ間際に感じるものかもしれません。
――幡野さんご自身は、自分の親のようにはなりたくないという気持ちで子育てをされていると仰っていますが、親にされたことを繰り返してしまう人が多くいると思います。そのような中で、自らの生き方を切り開くことになったきっかけを教えてください。
後輩の育成の経験が子育てに反映されていると思います。
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