「仏教・儒教・旧約思想」が同時期に生まれた理由 「資源・環境の限界」で考える「地球倫理」思想

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地球倫理の特質として挙げた②は、まさにこうした点に関わるものであり、地球上に存在するさまざまな宗教や文化の「多様性」に積極的に目を向けつつ、そうした多様性がそもそもなぜ生じるかを、その背景となっている風土ないし環境の多様性との関わりにおいて把握し、異なる文化間の相互理解の道を開こうとするものである。

それは宗教を含め、人間の思想や観念が「環境」に依存していることを認識するという点で、「エコロジカル」な人間理解と言えるものだ。

この点に関し、私は「ローカル・グローバル・ユニバーサル」という言い方をするのだが、ここで述べている「地球倫理」の「地球(グローバル)」とは、地球上のすべての地域を均質化していくような“マクドナルド化”という意味でのグローバルではない。

そうではなく、むしろ地球上のローカルな地域の個別性や多様性に積極的に目を向け、そうした多様性がなぜ生じるかの全体構造を理解するという点がポイントであり、つまり「ローカル(=個別的・地域的)」と「ユニバーサル(=普遍的・宇宙的)」の対立を乗り越え総合化するような意味の「グローバル」なのだ。

「自然信仰」を再発見していく

最後に、地球倫理の③は「根底にある自然信仰を積極的にとらえていく」という点である。ここでいう「自然信仰」とは、自然の中に単なる物質的なものを超えた何か、あるいは有と無を超えた何かを見出すような理解をいう。

こうした「自然信仰」は、さかのぼれば(前回述べた)狩猟採集社会の後半期に起こった「心のビッグバン」において生成したものであり、さまざまな宗教や信仰の最も根底にあるものと言えるのだが、先ほどから述べている枢軸時代/精神革命の時代に生まれた普遍宗教においては、こうした(アニミズム的な)自然観は“不合理”なものとして忌避された。

しかしこうした自然観を、上記のようにまさにさまざまな宗教の根源にあるものとして再発見していくというのが「地球倫理」の③であり、これは「“アース”(大地)としての地球」という点からも理解できるだろう。

(出所)筆者作成
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