「仏教・儒教・旧約思想」が同時期に生まれた理由 「資源・環境の限界」で考える「地球倫理」思想

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しかし近代以前あるいは資本主義が勃興する以前の社会では、両者はかなり重なり合っていた。近江商人の“三方よし”の家訓がすぐ思い出されるし、現代風に言えば「地域再生コンサルタント」として江戸期に活躍した二宮尊徳は経済と道徳の一致を強調していた。

黒船ショックを経て日本が急速に近代化の坂道を登り始めて以降も、こうした世界観はなお一定に保たれていた。

新1万円札の肖像に選ばれ、「日本資本主義の父」とも称される渋沢栄一は『論語と算盤』を著し、経済と倫理が一致しなければ事業は永続しないと論じたし、この時代の事業家には、渋沢や倉敷紡績の大原孫三郎のようにさまざまな「社会事業」ないし福祉活動を行う者も相当数いたのである。

戦後の高度成長期になると、状況は微妙に変化していったように見える。“経営の神様”といわれた松下幸之助が、「根源社」という社を設けるなど宇宙的とも呼べるような独自の信仰をもっていたことは知られており、同様の例はこの時期の日本の経営者に多く見られる。

しかし一方、国民皆保険制度(1961年)などが整備され、福祉や社会保障は政府が行うという時代となり、経営者は社会事業などからは遠ざかっていった。

つまりよくも悪くも、「私(企業ないし市場)」と「公(政府)」の分離が進み、前者はひたすら利潤の拡大を目指せばよく、そこから生じる格差や環境破壊等の問題は政府が事後的に対応する、という二元論的な枠組みが浸透していったのである。

ただし当時はモノがなお不足していた時代であり、松下自身が考えていたように、企業がモノをつくり人々に行き渡らせることがそれ自体「福祉」でもあった。ある意味で、収益性と倫理性が半ば予定調和的に結び付く牧歌的な時代だったとも言える。

80年代前後からこうした状況は大きく変容し、一方でモノがあふれて消費が飽和していくと同時に、「経済と倫理」は完全に分離していった。他方では、日本がそうであるように経済格差を示すジニ係数は増加を続け、また本稿で論じてきたように資源や環境の有限性が顕在化するに至っている。

「経済と倫理」の再融合

こうした中で近年、“「経済と倫理」の再融合”とも呼ぶべき動きが、萌芽的ではあるが現われ始めているように見える。例えば「ソーシャルビジネス」や“社会的起業”に取り組む若い世代の言明などを読むと、それは渋沢栄一や近江商人の家訓など、ひと時代前の経営者の理念と意外にも共鳴するのだ。

私の身近でも、ゼミの卒業生で、再生可能エネルギーや環境等に関してソーシャル・ベンチャー的な会社を立ち上げたりする者は、そうした社会貢献的な志向を持っていることが一般的である。

例えばある卒業生は、事業を立ち上げるにあたり、自分がやりたいのは「自己実現」ではなく「世界実現」だと言っていた。“自己を超えた価値”の追求ということであり、それは“個人を超えて、コミュニティーや自然とつながる”思想としての「地球倫理」と通じる面をもっている。

なぜそうなるのか。それはほかでもなく本稿で述べてきたように、モノや情報があふれて消費が飽和するとともに、地球資源や環境の有限性が顕在化し、経済や人口が「拡大・成長」を続ける時代から「成熟・定常化」する時代へと移行しつつあるという構造変化が背景にあるだろう。

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