「仏教・儒教・旧約思想」が同時期に生まれた理由 「資源・環境の限界」で考える「地球倫理」思想

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その中で「拡大・成長」時代の行動パターンや発想を続けていれば、企業や個人は“首を絞め合う”結果になる。

それが先ほどもふれた近年における“不祥事の日常化”とも重なっている。限りない「拡大・成長」を前提とした“ノルマ思考”も同様であり、こうした高度成長期的な「量的拡大」志向に日本がなおとらわれていることが、皮肉にも“失われた〇〇年”の元凶なのではないか。

いま根本から「経済と倫理」の関係を考え直す時期に来ており、そして、「拡大・成長」よりも「持続可能性」に軸足を置いた経済・経営の可能性を探っていく時期に来ているのである。

これは観念的な“空論”のように響くかもしれないが、そうではない。上述のように、こうした「持続可能性」に軸足を置いた経営理念あるいは「経済と倫理の融合」という発想ないしDNAは、日本においてはむしろ脈々と存在してきた。

しかもこうした方向は必ずしも現実離れしたものではない。例えばわかりやすい話、“事業規模を拡大することと、事業が長く続くことのいずれかを選ばなければならないとしたら、どちらを選びますか?”と問われた場合、「長く続く」ことを選ぶという経営者は、日本において決して少なくないのではないか。

このように考えていくと、本稿で述べてきた「地球倫理」とは、実は日本における経済や経営の理念として伝統的に存在していたものを、グローバル時代における資源や環境の有限性の顕在化という現代の文脈において“再発見”ないし“再定義”したものとも言える。

この意味では、いわば“「懐かしい未来(ancient futures)」としての地球倫理”という把握が可能なのだ。

風土・文化の多様性そして「鎮守の森」

以上、地球倫理の柱として示したうちの①について述べたが、残る2点についてはどうか。

②として挙げた「地球上の各地域の風土的相違に由来する文化や宗教の「多様性」を理解」という点は、次のような趣旨である。

先ほど、紀元前5世紀頃の枢軸革命/精神革命の時代に生まれた(仏教や儒教、ギリシャ哲学や旧約思想といった)普遍思想ないし普遍宗教について述べたが、これらの諸思想は、その内容は互いに大きく異なるものでありつつ、自らの思想が“普遍的(ユニバーサル)”なものとして自認し、人類すべてにあてはまるものとして主張していった。

しかし実際には、そうした普遍思想のそれぞれがもつ世界観や自然観は、それが生まれた風土の影響を色濃く反映したものであった。

すなわち、キリスト教などの源流となった旧約(ユダヤ)思想が、人間と自然を対立的なものとして捉える“砂漠の宗教”という性格をもち、アーリア人がガンジス河流域に移動していく過程で生成した仏教が人間と自然・宇宙をより一体的に捉える“森の宗教”と呼びうる性格をもったように、その自然観や人間観はそれらが生まれた地域の風土に大きく規定されたものであり、こうした意味で、それらの“普遍性”は実は限定的なものだったのである。

地球上の地域間の交流や移動が現在と比べれば圧倒的に少なかった中世においては、それぞれの風土に根差して生まれた各々の普遍思想ないし普遍宗教は、いわばリージョナルな形で“住み分け”、互いに共存することができた。

しかしグローバル化が進んだ現在においては、(キリスト教文化圏とイスラム教文化圏の対立に象徴されるように)皮肉なことに、自らの“普遍性”や絶対性を信じてやまない普遍思想ないし普遍宗教同士が互いに衝突し、紛争の元凶の1つになっているのである。

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