「仏教・儒教・旧約思想」が同時期に生まれた理由 「資源・環境の限界」で考える「地球倫理」思想

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そこで重要な意味をもったのは、先ほども宇宙的神話や哲学的宇宙論について言及したように、むしろ「宇宙」であり、ただしそれもまた、現在の私たちが念頭に置くような宇宙と言うよりは「“森羅万象”全体を含む世界」といった意味のものだった。

つまり、(アメリカの建築家・思想家バックミンスター・フラーが唱えた)“宇宙船地球号(spaceship earth)”といった発想や、“有限な資源と環境の惑星”としての「地球」という視点は、仏教や旧約思想などが生まれた枢軸時代にはなく、それは現代において固有の概念と言える。

したがって、人類史における「第3の定常化」の時代としての現在における、新たな思想や観念ということを考える場合、どうしても「地球」というコンセプトを避けることはできない。

そして、そこで浮かび上がってくる「地球倫理」ということを考えた場合、そのエッセンスをごく簡潔に記すならば、それは以下のような内容のものとなるだろう。

すなわち、地球倫理とは、

①地球資源・環境の「有限性」を認識し、
②地球上の各地域の風土的相違に由来する文化や宗教の「多様性」を理解しつつ、
③それらの根底にある自然信仰を積極的にとらえていく

ような思想のことをいう。

このうち①は基本的な出発点になるもので、私たちの経済活動が、“無限の空間”の中での「拡大・成長」を目指すという性格のものではなく、それは資源・環境の有限性の中においてなされる営みであることを認識するものだ。

これは「持続可能性(サステイナビリティー)」というコンセプトと不可分である。つまり資源や環境が無限に存在するのなら、わざわざ持続可能性ということを持ち出す必要はなく、ひたすら拡大・成長を追求すればよいのであって、資源・環境の有限性ということがあるからこそ、そうした制約と両立させながら経済活動をいかに持続させていくかという点がテーマとして浮上するわけである。

企業行動も「拡大・成長」から「持続可能性」へ

ところで、近年では多くの企業や経済団体等も「SDGs(持続可能な開発目標)」や環境や社会に配慮した「ESG投資」等々についてさまざまな形で言及するようになっており、そうした流れからすれば、ここで述べている「地球倫理」は、実はこれからの時代の企業行動や経営理念と密接に結び付く性格のものと言える。

こうした点を、「経済と倫理の分離と再融合」という観点から捉えてみよう。

思えば近年、企業の不祥事などで、記者会見場において3人くらいの幹部が並んで深々と頭を下げるという場面を見るのが半ば日常の出来事のようになった。個別の特殊事情もあろうが、そこには何か時代の構造的要因と呼ぶべきものが潜んでいるのではないか。

このことを「経済と倫理」という視点から考えてみたいのだが、「経済と倫理」というと、現在では対極にあるものを並置したような印象があるだろう。

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