イスラエルの超天才が示す「歴史を学ぶ価値」 ユヴァル・ノア・ハラリをまだ読んでいない人に
ゲームの新しいイベントを知らせるプッシュ通知をスワイプして、友だちにLINEを返す。ついでにTwitterを覗くと、少し前に投稿した写真に「いいね」がついている。
タイムラインには、ネコの写真や香港のデモの様子、映画のリバイバル上映のお知らせ、台風の被害を報じるニュースやトランプ大統領のコメントに交ざって、どこかの誰かがラーメン屋で注文したのと違うものが出てきたと憤るツイートとそれに同情を寄せたり、あなたにも落ち度があったのではと意見したりするリプライがリアルタイムで目に入る。スマートフォンを使う人にはすっかりおなじみの光景かもしれない。
情報の大渦にのまれて
あなたがそんなふうに実感することがあるかどうかとは別に、人類の歴史上、かつてこんなことはなかった。本を書いたり新聞を発行したりするのでもなければラジオ番組やテレビ局を持っているわけでもない個人が、テキストや画像や音声や動画をネットに投稿して、それを地球上のどこかにいる誰かが好きなときに見聞きする。
Twitterのタイムラインは、私たちが生きる情報環境を象徴するような場所だ。互いに関係のない、あるいは時に関係しあう世界中の人々のツイートが、無秩序に並んでは流れ去ってゆく。私たちは嘘も真もフィクションもごちゃ混ぜで飛び交う中で、無数の情報の断片にまみれて暮らしている。
有益な情報交換もある一方で、言い争いや炎上も絶えない。かつてはそうはいってもパソコンを使う比較的少ない人が参加していた場も、今ではスマートフォンを操作できるすべての人に開かれている。私たちはこれまで、顔も見ず名も知らない個人同士で、こんな規模と方法でやり取りしたことはなかった。そして何が起きつつあるのか、その全貌を知る者は誰もいない。
個々の人間の持ち時間と認知能力をはるかにしのぐ情報やデータがネット上を流れ、善しあしを別にして無数の接触が生じている。地球を挙げて社会実験をしている真っ最中である。
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