今や「カレーの街」としてすっかりおなじみとなった神田神保町。神保町を中心とした神田界隈には、400店以上のカレー提供店が軒を並べる。これだけ多くの、そして多様なカレー店が集まる街は、世界でも類を見ないといわれる。
なぜ神保町はカレーの街になったのか。そこで、過去の雑誌をさかのぼり、いつ、どのようにして神保町が“カレー街化”したのかを探ってみた。すると、予想外の歴史がそこから見えてきた。
本を片手にカレー?
神保町がカレーの街となった理由としてよく挙げられるのが、「買ったばかりの本を片手に読みながら食べるのに、カレーはぴったりだった」という説だ。
神保町界隈には、明治時代から多くの学校が集まり、学生街として発展した歴史がある。それに伴い、早くから書店街が形成され、現在も150店以上の古書店が集まる。これは本の街としては世界一の規模だという。なるほどそんな街ならば、すぐに本を開きながら食事がしたい、という説にも一定の説得力が出てくる。
ところが界隈でカレーを食べていても、そうした光景にはなかなか巡り合えない。神田カレーグランプリを主催する神田カレー街活性化委員会委員長・中俣拓哉氏はこう話す。
「実際のところ神保町界隈のカレー店の多くはお客で混み合っていたり、席数が多くなかったりして、本を読みながらゆったり食べるような雰囲気ではないんですよね。私もそういう人はあまり見たことがありません」
はたして神保町は、いつ頃から、どのようにしてカレーの街となったのだろう。そこで、日本唯一の雑誌図書館である大宅壮一文庫(東京都世田谷区)にて、過去の雑誌の記事をあたってみることにした。
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