以降、まんてん(1981年)、ガヴィアル(1982年)、ペルソナ(1983年)、マンダラ(1985年)、エチオピア(1988年)、トプカ(1994年)、カーマ(1995年)などのカレー専門店が続く。
ボンディ以前も、共栄堂やキッチン南海といった人気店はあったが、1970年代より前にカレー専門店はまだほとんどなかったという。ところがボンディが登場して以降の十数年間で、今も続くカレー専門の名店が次々登場した。カレー店の出店は、1980年代から1990年代にかけて起こったエスニックブームも追い風になっただろう。
「聖地」でカレー屋をやりたい
そしてもう1つ大きかったと思われるのが、やはりメディアの力だ。1990年代の時点で神保町には前述のとおりカレーの名店が集まっていたが、雑誌などのメディアが2000年以降にそれを“発見”したことで、神保町=カレー街という概念がはっきりと視覚化された。
その後、インターネットが広く普及し、加えてグルメサイトが台頭したことで、情報がより広がりやすくなる。さらに2011年からは神田カレーグランプリがスタート。これが毎年4万~5万人を集客する大イベントとなったことで、神保町=カレー街という構図は一層強化されたのだろう。
実際、神保町界隈のカレー提供店は、2000年以降も大きく増えているという。もともとカレーの名店が集う下地があるところに、メディアによる拡散でそれが広く知れ渡るようになり、以降は「カレーの名店群が後続のカレー店を呼ぶ」というスパイラルがより強化されていったイメージだ。結果、世界でも類を見ないカレー店の一大聖地が誕生する。前述の神田カレー街活性化委員会・中俣氏は言う。
「店主さんたちに出店した理由を尋ねてみると、多くの方が『どうせカレー屋をやるのなら、神保町界隈に出したかった』と話されます。また、神田カレーグランプリを始めてからは『なんとかグランプリを獲りたい』と、神田にわざわざ支店を出すチェーン店も目立つようになりました」
雑誌の過去記事から見えてきた、神保町のカレー街化の意外な側面。インターネットに膨大な情報が上がる現代にあって、当時の空気がそのまま保存された古い雑誌の誌面はある種の秘境といえるかもしれない。そんな秘境を古書店であさり、その足でカレーを食べるなんて時間を過ごすのに、神保町以上にうってつけの場所はないだろう。
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