神保町はいつから「カレーの街」になったのか

実は20年前はそこまでではなかった

館内の端末で検索したキーワードは「カレー 神田」「カレー 神保町」の2通り。いざ出てきた誌面を俯瞰してみると、時代の“断層”のようなものがくっきり浮かび上がった。なんといっても意外だったのが、2000年より前は「神保町=カレーの街」というのがそれほど浸透していなかったことだ。

1990年代後半は「知る人ぞ知る」

・「ビルの谷間に(カレーの)名店が神田にはある」(Hanako 1991.10.17)
・「ラーメンのメッカは荻窪。それでは、カレーのメッカはど~こだ? 知る人ぞ知る、それは神保町なのである」(東京人 1998.06)
・「荻窪や恵比寿といえばラーメンが有名だが、カレーのメッカは? 何を隠そう神田神保町なのである。理由はよくわかりませんが」(散歩の達人 1999.02)

1990年代前半時点では神保町=隠れたカレー街、という雰囲気だ。1990年代後半になっても、まだ「知る人ぞ知る」という扱い。そもそも1990年代は検索にヒットするもの自体がかなり少なかった。

当時すでにカレーの名店はいくつもあっただけにカレー好きには「神保町=カレーの街」というのは周知の事実だったかもしれないが、一般的にはまだほとんど知られていなかったのだろう。

しかし2000年代初頭、神保町カレー特集のラッシュが起こり、状況は一変する。

・「この街には、カレーの店がずいぶんあって、いずれもうまい」(東京人2000.02)

・「神保町はカレーの超激戦区。『この一角だけで35軒以上あります』」(散歩の達人 2000.04)
 
・「神保町には、古書の街という顔とは別にカレーの街という顔もあることを知ってましたか?」(Hanako 2000.5)
 
・「食べたくなったらカレータウン神保町へ」(BRUTUS 2000.6.15)
・「洋食、中華、定食屋、喫茶店などでカレーを出している店は80軒は下らない」(dancyu 2000.7)
・「なんだか突然のカレー流行りである(中略)ブームの“発信源”の神保町を改めて歩いてみた」(Title 2000.8)
・「本の街? スポーツの街? 楽器の街? いやいや、店ごとに独特の進化を見せる、カレー最先端の街!」(東京ウォーカー 2002.5)

このほかにも多くの特集がこの時期に組まれており、こうして集中的に取り上げられることで、神保町=カレーという認識はかなり一般化したのではないか。だから、いつからカレーの街になったかという問いに対しては、マスレベルに浸透し始めたこの2000年代初頭というのが1つの答えになるかもしれない。

では、神保町は「なぜ」カレーの街になったのか。きっかけの大きな1つと考えられるのが、1978年に神保町にオープンしたボンディだ。当時珍しい高級路線の欧風カレー店でありながら、開店から半年ほどで行列のできる大人気店に。

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