義父の介護の最中に乳がんが発覚したワーママ 夫は単身赴任で1年のほとんどは不在だった

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抗がん剤治療は6月に終わる予定だったが、肺炎が完治したのは8月だった。その2018年6月に、77歳で義父が他界。

「私が抗がん剤治療を始めた頃、自宅での介護が限界になり、義父は施設に入りました。『家族で力を合わせてチームでやっていこう!』と提案した私が、自分のことで精いっぱい。

動けるときは義母のサポートを再開しましたが、闘病している義父と自分を重ねて見てしまい、苦しさに共感しすぎて、病室に入るだけでもつらくて……。結局肺炎で再入院。『もっと何かできたのに』と自分を責め、悔やみました」

病気がくれたもの

佐藤さんは、抗がん剤をやめてからも副作用に苦しんだ。とくに味覚障害や睡眠障害がひどく、メンタルの調子も戻らないため、2018年の9月には心療内科に通い始める。長男は、高校1年生になっていた。

「私は子どもの教育に熱心なほうでしたが、いちばん大切な受験期に十分なサポートができず、長男は自分で『私立の高校に推薦で行く』と決めました。長男は『いろいろ調べて決めたからいい』と言いますが、子どもながらに早く決着する私立推薦を選び、私が治療に専念できるよう気を遣ったのかな……と、申し訳ない気持ちでいっぱいです」

佐藤さんはずっと「自分はしっかり者だ」と思っていた。

「想像をはるかに超える事態だったということもありますが、私は自分のこととなると、まったくダメなんだとわかりました。つらい顔をしていたら心配させてしまうと頭ではわかっているのに、あの頃は自分をコントロールできず、子どもの前でもわあわあ泣いてばかり。今まで面倒を見ていたつもりだった妹や母にも、ものすごく支えられ、助けられました」

佐藤さんの息子たちは、「あのときはすごく驚いたし、不安だった」と、最近になって打ち明けた。

「子どもには見せるべきでない姿だったのかもしれない。でもおかげで、子どもたちは私に頼るばかりではなく、『家族のピンチには一緒に戦うんだ』という『チームの一員という認識』を持ってくれたように思います」

佐藤さんの夫は、時には数時間の滞在のために単身赴任先から帰ってきて、家事や病院への付き添いをしてくれた。抗がん剤の副作用に苦しむ妻を振り切るようにして最終新幹線に乗り込んだことも、転職を考えたこともあった。

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