義父が入院し、放射線治療を開始すると、義母は毎日見舞いに通った。しかし、ある日突然足の痛みを訴え、歩けなくなってしまう。急いで病院へ連れていくと、脊椎に腫瘍ができていた。幸い良性だったが、入院して手術を受けなくてはならない。義父が退院する頃、義母の入院が決定。佐藤さんは、義父の食事の世話をすることになった。
義父は50代の頃から糖尿病を患い、自分でインスリン注射を打っている。そのため義母は、糖尿病患者の食事療法を学び、毎日単位計算して料理をしていた。佐藤さんは、糖尿病食など作ったことがない。試行錯誤の結果、糖尿病食を扱う宅配業者を利用することに。
「宅配プラス、義父が毎日食べるおみそ汁や厚焼き玉子などは作るようにしました。義母は全部手作りしていたので申し訳ない気持ちもありましたが、自分ができることをできる範囲でやろうと。義両親には『それでもいいよ』と理解してもらいました」
45歳の決断
佐藤さんは、自分が45歳になった年に長妹や義両親が相次いで病気になり、「人生何があるかわからない」ということを目の当たりにした。また、20年以上会社員として働き、結婚・出産してからは、夫不在の中、多忙な日々を過ごしてきて、明確な不満があったわけではないが、父の年齢に追いついて初めて、45歳で家族も仕事も残してこの世を去らなければならなかった父の無念さを実感。
「父が生きたくても生きられなかったこの先の人生を、もっと大切に生きなければ」という思いが強くなった。
「生前整理」という言葉を知ったのは、ちょうどそんな頃。「生前整理講座」に強く惹かれ、時間をやりくりして参加した。
講座では人生のやり残しについて考えるために、「自分の葬儀をプロデュース」というテーマで、「自分ならどんな人だったと言われて送り出されたいか、会葬礼状の文章を考えてみよう」という課題が出される。すると佐藤さんは、「仕事を通じて成長する姿を、一生かけて見せてくれた母でした」と書いていた。
「そのとき私は『仕事をしている自分を、子どもたちに認めてほしいんだ』ということと、人生でやり残したことに気づいたんです。いつしか諦めてしまっていたけど、父の会社を継ぎたいと思っていたのは、仕事を通じて社会貢献していた父の姿に憧れたから。今からでも間に合う、生前整理で社会貢献しよう。そう思ったんです」
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