その頃、長妹の病気は落ち着き、義母の腫瘍は完治していた。2014年5月。佐藤さんは生前整理アドバイザー認定指導員資格を取得。
会社には副業申請を出し、平日は会社員、土日は生前整理アドバイザーの仕事をこなす、ダブルワーカーとなった。
深刻化する義父の糖尿病
その後、義母は元通り歩けるようになったが、義父の糖尿病は年々悪化。だんだん目が見えなくなり、1人で外出することも難しくなる。カメラやパソコンが趣味だった義父は元気を失くし、横になっている時間が増えた。
足の指の壊死が進み、身体の痛みにいら立つ義父は、義母につらく当たることも。時々入院もしたが、義父は義母以外に世話をされるのを嫌がるため、義母の負担は膨らむ一方だった。
「義父は目が見えず、義母は気丈に振る舞っていたので、義父は義母がげっそりやせ細ってしまっていたことに気づいていなかったのだと思います。このままでは義母が倒れてしまうのではないかと心配でしたが、義父は自分の世話は義母にしてほしいと言って譲りませんでした」
2017年1月。お正月に家族が集まったときに、佐藤さんは「義父の介護認定を受けること」「義母だけに任せず、ヘルパーを頼み、家族でチームとして義父の介護をしていくこと」を提案。
他人の手を借りることを嫌がっていた義父も、「家の中に他人が入って来るのはちょっと……」と渋っていた義母も、最終的には承諾した。
佐藤さんは介護認定を申請し、ヘルパーを手配。病院や介護福祉関連部署、ケアマネとのやりとりなど、義母に代わり窓口となり、介護のキーパーソンとして、義両親のことを第一に考えていた。
プロの手を借りながらのチーム介護が始まったが、義母は変わらず義父に尽くし、自分の不調は後回し。佐藤さんは会社員と副業と子育てをこなしつつ、毎朝、義母と体調や状況を報告し合い、できることをサポートした。義母に通院などの予定があるときは、義父のケアを代わった。
ところが、義父の足の壊死が広がり、ついに片足を切断することになる。
義父が入院すると義母は朝から病院へ行き、看護師の代わりに義父の食事の介助などをし、夕方帰宅。佐藤さんは、時間が許す限り義母の送迎をしたり、子どもをお見舞いに連れていった。
退院後は義父の強い希望で自宅に戻ったが、やがてもう片足の指も切断しなければならなくなり、再入院した。
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