「ドラクエ5劇場版」ファンが心底落胆した理由 制作者の主張強すぎだ「ユア・ストーリー」

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問題はここからだ。ゲマを倒した瞬間、唐突、冒険の世界は破綻する。どうやら、ゲームを憎む誰かが、この「ゲーム」にウィルスを投じたらしい。

そして本来のドラクエ5のラスボスであるミルドラースはウィルスの化身として主人公の前に立ちはだかり、こう投げかける。

「大人になれ」と。

僕は事前にネタバレを知って見に行ったから、この一連のシーンを「あー、これヨコオタロウのゲームあたりで見たような描写だな〜」などと、他人事のように見ることができた。

しかし、ドラクエ5の映画化を楽しみにして見に行った人にとっては、混乱するだけだし、怒りが湧く気持ちもわかる。

そして何より、この部分は完全に投げっぱなしだ。誰がウィルスを投じて、その目的が本当は何だったのか、などということにはまったく触れられない。さらに、ウィルスうんぬんの話は、ドラクエ5の元のストーリーとまったくリンクする部分がない。つまりストーリー上の必然性もつながりもいっさい存在しないのである。

「唐突で時代錯誤な」クライマックス

何の関係もない異物が突然横からラスボスみたいにやってきて、それを倒してハッピーエンドみたいな話では、納得する人が少ないのも当然である。あまりにも唐突すぎるのだ。

確かに、ゲームは「子どもの遊び」としか思われない時代があった。いい大人がゲームなんかで遊んでいるのはおかしいと考える大人がたくさんいた時代もあった。

だが、そんな時代はすでに過去のものとなっている。ファミコンの爆発的な流行により、家庭にテレビゲームがある光景が当たり前になってから、もはや35年以上。当時ゲームを遊んでいた子どもたちはすでに大人になった。

2014年から2015年にかけて、トヨタのハイブリッドカー「AQUA」のTVCMに、ドラゴンクエスト、ファイナルファンタジー、モンスターハンターの曲が採用されて話題になったが、ゲームがすでに車を購入するような大人の娯楽として認められているからこそできたCM展開である。

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