ポケモンGO批判の裏に透ける車社会の奢り 本来の暴力性をあるがままに肯定できるのか
「ポケモンGO」の日本版リリース開始から10日余り。先んじて米国などで人気を呼び、任天堂の株価が急騰するなどの大きな話題になっていたこともあって、日本でも利用者が一気に広がり、全国各地の街角でスマホをいじる人々の光景が目立っている。
ブームが過熱する一方、ネガティブな一面も
ブームが過熱する一方、ネガティブな意見も目にする。内閣サイバーセキュリティセンターも配信前から注意を喚起していたが、特にポケモンGOに興じているユーザーそのものが標的になっているケース。テレビ番組で芸能人やコメンテーターが辛辣な意見を述べたことがネットニュースで取り上げられ、それに対する異論・反論なども飛び交って議論を呼んでいる。
確かにポケモンGOに夢中になるあまり、立入禁止の場所や高速道路に立ち入ったり、盗撮と間違えられたり、ひったくりに遭ったりなどという、さまざまなアクシデントが起きている。先行配信された米国をはじめとする海外でも似たような話は多い。もちろん周りの歩行者や自転車、自動車に注意を払わずにポケモンGOに興じるユーザーは危険だし、犯罪の標的にもなりかねない。横断歩道を渡りながら、あるいは車道を横切りながらのプレーなど許されるはずもない。
ただ、自動車との関係において、ポケモンGOユーザーが一方的に邪魔な存在に扱われる風潮には違和感もある。「道路は自動車が通って当然だ。いつ自動車が通ってもいいように、歩行者や自転車はつねに端を通るべきなのだ」という自動車社会の奢りが感じられる。
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