「ガンダム」安彦作品が描き出す人間たちの実像 アニメ文化はアジアを救うカギとなる
安彦作品の安堵感
中島岳志(以下、中島):ジブリ作品には、安彦作品ともつながる部分があると思います。安彦さんの『虹色のトロツキー』の中には、具体的な思想やメッセージがあるわけじゃない。その感じが好きなんです。
ただ、この世界にはいろんな出来事があって、そこで一生懸命に生きている人間たちがいるということ。そこをひたすら描いていく。それが満洲やノモンハンだった場合は『虹色のトロツキー』のようになるし、そうでなければ『魔女の宅急便』みたいにパン屋で一生懸命働いたりすることにもなる。
わざわざ『千と千尋の神隠し』みたいに「ここで働かせてください」って大声で叫ばなくてもいい。そういう安堵感があります。
だから杉田さんが『宮崎駿論』で、宮崎駿の世界は『もののけ姫』以降になると、物語として空転している、と指摘していたこともよくわかる。
杉田俊介(以下、杉田):とはいえ、『虹色のトロツキー』の物語の進み方は、『千と千尋の神隠し』と似ている面もあるかもしれないですね。
物語がうまくまとまる前に、どんどん横にずれて、だんだん収拾がつかなくなっていく。安彦さんは、連載では方向を決めずにとりとめなく描いていたわけです。
宮崎さんの映画も脚本がなくって、宮崎さんが絵コンテを継ぎ足し継ぎ足しして、田舎旅館が増築を繰り返して次第に巨大化していくように物語を作っていく。