次に選んだのは鶏だった。薩摩シャモと地鶏を使ったスープを完成させ、再出発した。1年ほどが過ぎて口コミでお客さんが増え始め、ようやく順調に進み始めたと思ったところで、再び悲劇が訪れた。
2004年、鳥インフルエンザが発生したのだ。風評被害は甚だしく、お客さんは一気に引いてしまった。この時期上田さん自らもいつの間にか生卵を自然に避けてしまっていることに気づき、鶏で続けることは難しいことを悟った。年齢はすでに61歳になっていた。
最後に行き着いた、豚骨の「特濃」
牛、鶏を封じられ、残るは豚しかなかった。当時は濃厚豚骨魚介ラーメンが全盛で、今さらそこに手を出すことはできなかった。2度も失敗しているのだから、並のラーメンでは世間は納得しないこともわかっていた。
行き着いたのは「特濃」だった。流行りの濃厚系をはるかに上回る豚骨の濃度を目指し、ドロドロのスープを考案した。2004年4月、屋号を「麺家 うえだ」に変え、上田さんは再出発した。
この特濃ラーメンは「泥系」として注目を浴び、完全復活した。
2009年からは埼玉にご当地ラーメンを作ろうと立ち上がり、みたらし団子からヒントを得た「焦がし正油ラーメン」を考案。両手にバーナーを持って醤油ダレを炙るパフォーマンスが一躍有名になり、大ヒットした。
県内の有名店を集め、東京ラーメンショーをはじめとする全国のラーメンイベントに次々と参加し、埼玉県内に「焦がし正油ラーメン」を増やしていった。
「特濃」と「焦がし」で連日行列の人気店となった「麺家 うえだ」。しかし、上田さんの年齢的な問題が徐々に浮き彫りになってきた。東京ラーメンショー2015では無理がたたり骨折。その後もイベントに出続け、3本の骨を折ってしまった。これ以上続けていっても体力は次第に落ちてくる。引き際を悟った上田さんは、実は昨年10月から引退に向けての下準備を始めていた。
「まだ元気なうちに辞めたいなと思ったんです。私はメディア的に“いつまでも元気な店主”というイメージがついているから、衰えを見せたくないんですよ。『昔は元気だったのになぁ』と言われたらおしまいです。そう言われてしまう前に20年をひとつの区切りにしようと思ったんです。なので『引退』ではなく『卒業』という言葉を選びました」(上田さん)
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