今オフもNPB(日本プロ野球)では、いずれの球団とも選手契約ができるFA(Free Agent)選手の移籍が大きな話題になった。広島カープの丸佳浩、埼玉西武ライオンズの浅村栄斗、炭谷銀仁朗、オリックス・バファローズの西勇輝という働き盛りの主力選手が、他球団にFA移籍した。
また、その見返りである「人的補償」で、巨人の生え抜きスター選手の内海哲也が西武に、長野久義が広島に移籍が決まったことも連日メディアをにぎわしている。
しかし、毎年この報道を耳にするたび筆者が思うのは「日本のFA制度というのは、いったい何の意味があるのか?」ということだ。
アメリカから野球が伝わって140年、ことルール面では日本はアメリカの忠実な「教え子」であり続けた。
MLB(メジャーリーグ)がルール改訂をすれば、NPBも翌年には追随した。指名打者制度やセーブの導入、最近では「ビデオ判定」「申告敬遠」などがそれだ。
ビジネス面に関わる制度改革では、日本はアメリカのやり方をそのまま受け入れなかった。戦力均衡を目的としたドラフトは、日本では長らく骨抜きにされたし、FA制度もアメリカのそれとは似て非なるものになっている。
天と地ほども違う、日米の「FA制度」
アメリカでFA制度が導入されるきっかけとなる事件が起こったのは1975年のことだ。エクスポズのデーブ・マクナリー、ドジャースのアンディ・メッサースミスという2人の選手が、契約内容に不満を抱いて契約を保留した。2人は「契約書にサインしないままチームにとどまって1シーズンをプレーすれば、以降、球団側に選手を拘束する権利はなく、他球団との契約交渉は自由にできる」と主張した。訴訟となったが連邦裁判所は最終的に2人の主張を認めた。
MLBはこれまで球団が選手を一方的に縛り、年俸も低く抑えていた。戦後になっても優雅な生活をしているのはジョー・ディマジオやミッキー・マントルなど一握りのスター選手だけ、あとはメジャーのレギュラー級でもオフに運転手のアルバイトをすることもあったという。
こうした不当な契約関係が裁判所によって否定されたことがFA制度へとつながっていく。
紆余曲折を経て、1977年7月、アメリカではすべての選手は、MLB在籍期間が一定年限に達するとFA権を得ることとなった。FA(Free Agent)とは文字通り「自由契約」であり、これまでの球団の支配下を離れて、自由に各球団と交渉できる権利のことだ。
現在のMLBでは出場選手登録(一軍登録)145日を1年として換算し、6年を経過すればFA権を取得でき、自動的にFAとなる。選手はFA宣言をする必要はない。
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