一夫多妻婚を基本とする摂取政治の時代に、その仕組みを最大限に利用した藤原道長が最も活躍した時に『源氏物語』という作品が生まれたというのは偶然ではない。
歴史の教科書に書かれている摂取政治は、藤原道真、藤原兼通、藤原道隆とその弟である道長の政権争いが主な問題として取り上げられているが、その歴史を実際に動かしていたのは、あの手この手を使って帝の愛を勝ち取り、男の子を産むことに成功した女たちだ。
作者は「良妻賢母」の鑑とも言える人物
そして、彼女らが仕切っていた裏の政治は恐ろしくて過酷だった。その様子は『栄花物語』という作品において実につぶさに描かれている。作者は紫式部大先生の同僚で、同じく中宮彰子のサロンに仕えていた赤染衛門とされている。
夫の大江匡衡を、道長や娘の彰子にしつこく斡旋し続けたというエピソードが言い伝えられるほど、赤染衛門は良妻賢母の鑑である。清少納言や和泉式部に比べると知名度がぐっと落ちるが、彼女たちのように出しゃばったり、奔放な恋を謳歌したりすることもなく、落ち着いた感じのマダムだったようだ。
『栄花物語』もまじめな作風の書物で、天皇の命令によって書かれた『日本書紀』をはじめとするいわゆる「六国史」の伝統を受け継いでいるという位置づけらしい。
しかし、漢文で記された無味乾燥の正史と違って、かなりの脚色が加えられ、史料としてあまり信用できないものとなっている。それもそのはず。『栄花物語』は事実を追究するのではなく、道長の栄華を創出するという目的で執筆されているのだ。
全40巻にも及ぶ超大作の中に600首以上の和歌がちりばめられ、当時の平安宮廷の大御所が総出特別出演しているので、正直途中で何の話だかわからなくなってしまうことも多い。とにかく長くて難しく、完読をするには骨が折れるほどの努力が必要だ。
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