「男同士は本来、お互いに無関心なものだが、女は生まれつき敵同士である」とは、何につけても悲観的な哲学者、アルトゥル・ショーペンハウアーが残した名言の1つだが、確かに思い当たる節がある。
時代や文化が違えど、女性の本性を知り尽くした清少納言姐さんもショーペンハウアーと同じようなことを思ったようで、『枕草子』の「ありがたきもの」という段を以下の文章で締めくくっている。
男と女は言わずもがな、女同士でもなんでも話せる人と、ずっと超仲良しということはほとんどありえない。
女同士でずっと超仲良しなどありえない
ここでいう「ありがたし」というのは、「あることが難しい」という意味から「めったにない」というニュアンスで用いられる。仕事をバリバリとこなし、ビジネスシーンではキラキラと輝き、宮廷で何度も修羅場をくぐってきたキャリアウーマンの清姐さんの言葉だからこそ、意味深なところがある。
平安時代の女流文学作品は、女性によって形成された極小コミュニティを中心につづられているだけあってか、かなりの確率で女同士の煩わしい関係が話題に上る。この中には、その存在が認識されるはるか前から「マウンティング女子」として周囲を困らせた女がいる。
それはもちろん、『蜻蛉日記』の作者、藤原道綱母である。
以前『蜻蛉日記』の内容を紹介させていただいたことがあるが(平安美女「復讐の書」が現代女性を救うワケ)、この上中下の3巻にわたって展開される、ゾクっとくる狂気に満ちあふれた物語を無性に読み返したくなるときがある。
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