「記憶の楽観性」というのがあるそうだ。ある学者がいろいろな人を集めて、過去何年かの楽しかったことと、苦しかったことの思い出の統計を取ったらしい。すると、大概の人が苦しかったことはほとんど忘れ、楽しかったことを強く鮮明に覚えているということがわかった。これをもとに、人間の記憶の仕組みには「楽観性」が働いているという結論に達したという。
そうかしら……とその安易な結論に首をかしげ、「むしろ逆なのでは」と考えてしまう悲観的な私。正直に白状すると、何年も前に誰かとケンカした内容やムカッとしたときのことについて話したりすると、その当時の気持ちがよみがえり、抑えきれないほどの怒りが突然こみあげてくることがある。
「復讐」のスペシャリスト、藤原道綱母
怒りを「保存」することにおいて、私は世界でピカイチだと自負しているのだが(自慢にならないか……)、私よりずっと“優れている”人物をあえて挙げるとするなら、答えには迷わない。そう、いつまでも根に持つ面倒くさい女、『蜻蛉日記』の作者、藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)である。
古典文学を風靡したほかのレディースと同じように、本名が永遠に失われた藤原道綱母だが、ここではみっちゃんと呼ぶことにする。
みっちゃんは由緒のある藤原家に生まれた。本朝三美人の一人だと言われるほどの美貌の持ち主で、当時の教養と品格を測る物差しだった和歌も、うっとりするほどうまかった。「ミス・ユニバース・ジャパン」を主催するイネス・リグロンさんがもし平安時代をうろちょろしていたら、きっとミス平安京に仕立てたに違いない。みっちゃんのことを知れば知るほどその才色兼備ぶりに驚かされる。
輝かしい未来が待っていると、人から羨望のまなざしで見られ、あこがれの存在だったみっちゃんだが、彼女は運命を狂わせるほどの恋をしてしまう。その相手は藤原兼家。出世街道をばく進する男。ユーモアのセンス抜群、和歌だって、楽器だってお手の物。それにヨダレが垂れるほどのイケメン(らしい)。
しかし、絵に描いたような完璧な夫婦間にも数々の気持ちのすれ違いや裏切りがあった。その悶々とした気持ちが『蜻蛉日記』という作品の土台となり、そこに託された筆者のメッセージは千年の時を超えても今もなお、ハッキリと伝わってくる。そのメッセージとはズバリ、「あたしの21年間を返してよ」。
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