作者は39才の大みそかを最後に、筆を握ったまま、はたと動きを止めた。夫兼家の訪れが完全に途絶え、力が抜けたかのように書き続けることすらできなくなったのである。藤原道綱母はそれから20年間も一人寂しく生きたと言われているが、『蜻蛉日記』は兼家の登場で始まり、彼の退場で幕を下ろす。
子どもを産んで、その子の成長を見守ることが女性の幸福だ、と世間では長い間言われてきた。現代では「社会と結び付きを持つ」とか「自己実現をする」とか、女性にとっての幸福の選択肢は増えてきているが、それでも私たちは自分が目指すべき姿が何なのか、幸せとはいったい何なのか迷うことが少なくない。
道綱母は「好きな人のそばにいたい、彼から全人的に愛されたい」と思い続け、それができないとわかったときに、怒りに震えながら彼をただただ呪った。一瞬だけでもそういう気持ちを持てたことは幸せだったと思う人もいるだろうし、男にすがって絶望してしまった悲惨な人生だと思う人もいるだろう。しかし、「幸せの形」がいまひとつわからないまま今を生きる私たちが、必死に幸せを求め続ける道綱母の姿を軽く笑えないことは確かだ。
リアルの世界でできなかったことを、文学の世界で…
『蜻蛉日記』は、道綱母がその心のマグマを鎮めるために書いたのではないかと私は思う。自分を捨ててしまった最愛の夫に復讐をしようとしても、家の中にたれこめて暮らしていた女性には何の行動も起こせなかった。だからこそ彼女が持てた唯一の武器、つまり筆、を使って復讐を果たしたのだ。
自らの結婚生活を徹底的に自分流に解釈して、兼家というキャラクターを作り上げて、彼が悪役になるように巧妙にストーリーを組み立てた。和歌のやり取りにおいて、兼家の返事が何回か省略されている段があるのだが、そうすることによって道綱母は文字どおり反論をする権利を夫から奪ったのではないかと思う。リアルの世界でできなかったことを、文学の世界で成し遂げた、パッションあふれすぎてちょっと怖い女、藤原道綱母……。
「復讐は冷えてから食べるといちばんおいしい料理」という言葉があるのだが、みっちゃんの復讐の料理は千年経った今もアツアツ。平安時代から平成まで、彼女の言葉が悔しさのあまり「ざまあみろ!!」と思ったことのある人たちの心の傷を癒やしている。悪いとわかりながらも、抑えきれないぐらいの嫉妬と怒りを心の奥底にしまっている人たちはいつの時代にも存在し、その姿にエールを送り続けているのである。
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