人生には3回モテ期が来るとよく言われている。その都市伝説の真偽を確かめるには辛抱強く待つこと以外に術はないけれど、私はといえば、来日してから現在に至るまでの約10年間、交友関係が劇的に変わるような契機が1度も訪れていない。
人口1368万人がいるこの東京という街に住んでいるにもかかわらず、電話番号すら聞かれることなく、色恋に関していうと、東西南北を注意深く見回してもまるで焼け野原状態と言っても過言ではない。そればかりは努力してどうにかなるわけではないのだが、友達に相談をしてみたところ、「日本男子はシャイだから……」と目を伏せながら、みんなが口をそろえていうのであった。
そんなシャイな日本男子にぜひとも参考にしていただきたい古典文学の作品がある。それは平安初期に成立したといわれている『竹取物語』だ。
見たこともない姫に身もだえるチャラい平安男子たち
長年愛読され続けて、親しまれてきた『竹取物語』は、誰でも1度は目を通したことのある有名な作品である。その主人公であるかぐや姫は、驚異的な速さで大人の女性に成長し、この世のものとも思えない美貌の持ち主とうわさされるようになる。それを聞いた若い男たちはみな身もだえて、身分の差も気にせず彼女を自分のものにしたいと思い悩む。1度も姿を見たことがないのに、そこまで恋に燃えるというのは、おなじみの平安時代らしいチャラさである。
そして、かぐや姫に心底ほれ込んだ男たちは、思いつくかぎりの巧妙な手口で、脅威すら感じてしまうナンパ術を披露する。
古代エジプト人は砂を表す50種類の単語を持っており、エスキモーは雪を表す100種類の単語を持っていたという話を読んだことがあるが、言葉の豊かさと、表現の広さはその文化の価値観のバロメーターともいえる。古典の日本語に限って考えると、やはり男女関係にまつわる単語が驚くほど多く、かつそれぞれの表現の持つ意味合いが実に細かく定義されている。
ここの数行では、「垣間見る」(ものの隙間〔すきま〕から誰かをこっそり覗き見る)と、「夜這い」(男性が求婚して女性のところに通いつめる)という表現が使用されている。似たような意味合いを持つ言葉には、「呼ばふ」(求愛のために女性のところに行く)「逢ふ」「語らふ」「契る」「髪を乱す」などがあるが、どれも男女が深い仲になるという状態を表している言葉だ。
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