成功する人は「無益な感情」を捨てている 2000年前に「老子」が指摘した真実
混迷する世界情勢のなかで、政治も経済も揺れ動いています。この先どうなるのか、不安を感じる人は少なくないでしょう。しかし、それよりも憂慮されるのは、恵まれすぎた不幸とでもいうのでしょうか、人々の心身がずいぶん脆くなっていることです。
現に、いささかの困難にぶつかっただけで、すぐに音を上げる、そんな現象があちこちで目立っているではないでしょうか。
そこで『老子』です。この古典には、しぶとい雑草の精神、したたかな生き方が示されています。現代の私どもも、そんな生き方を『老子』に学ぶ必要があるのではないか、いや、ぜひ学んでいきたいと思うのです。
あるがままの境地、「無為自然」とは
『老子』の思想を説明するのによく使われるのが「無為自然」という言葉です。
「無為」とは、単に何もしないでじっとしていることではありません。ことさらな作為や小細工を弄しないという意味です。「自然」とは自然界の自然という意味ではなく、「あるがままに」といった意味に近いかもしれません。
「無為自然」をよしとする『老子』は、当然のことながら、作為や利口そうに振る舞うことを嫌います。無為自然の章でもこう語っています。「疾風といえども半日も吹き荒れることはないし、豪雨といえども一日中降り続くことはない。誰がそれを司(つかさど)っているのか。天地である。その天地でさえ、不自然を長持ちさせることはできないのだ。まして人間の賢しらなど長続きするわけがないではないか」
作為は長続きしない、無理はよそうよ、というのです。下手な自己主張や、「俺が俺が」としゃしゃり出ていくような生き方は、百害あって一利なしだと説いているのです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら