デキない男は「色気の本質」を履き違えている 普段着の言葉に「感脳性」が宿っているか
前回の記事『なぜパリの男女は加齢しても「枯れない」のか』では、私たちが年齢を重ねても日々心豊かに送っていくためのヒントとなる「センシュアル」の概念をご紹介しました。「センシュアルであるための必須の条件は知性であり、そこがセクシュアルと大きく違います。年齢にも左右されません」とも申しましたね。
ところで、セクシュアルとセンシュアルとは何がどう違うのでしょうか。疑問に思われる方が多いかと存じますので、今日はそこからお話しいたします。語源的な説明などは初回にご紹介した本の中にありますのでスキップし、違った視点からストレートにアプローチいたします。
目的性の「化けの皮」はすぐに剥がれる
ズバリ言ってしまえば、セクシュアルとは「セックスをしたい」という欲望の表現ではないでしょうか。“セクシュアルな服装”、“セクシュアルな言辞”、“セクシュアルな物腰”。これらの表現は媚態(びたい)と呼ばれます。これらの態度や言葉には、「セックスをしたい」という目的性が、あからさまに表れます。
多少のひねりや遠回しの表現がありうるとしても、目的性の化けの皮はすぐに剥がれます。欲望(下心)が露見すると、どうしても「あざとさ」が目についてしまうものです。
性欲は動物に属する人類が類を保存するための根源的な生命現象です。この生命現象を誰も否定できませんし、欲望は人間において重要な魅力を形成します。性欲に直結する色気は対象である異性に向かいます。その多様性としてのLGBTも包摂されることはもちろんですが、一般に競争のライバルである同性間では、互いのセクシュアルさを嫌うのは当然です。
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