デキない男は「色気の本質」を履き違えている 普段着の言葉に「感脳性」が宿っているか

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私が「この人はセンシュアルだわ」と考えるのは、巻八の花宴(はなのえん)から登場する朧月夜の君です。あの光源氏(性欲過多で女たらしのロリコンにして自信過剰で、私は好きになれない)に籠絡されることなく翻弄し続け、あげくに自己の意思で砂をかけてサッサと去っていった“男前”の姫君。いろいろな方面の魅力を持った女性でした。

一方、薄幸の美女とされる夕顔の君はどうでしょう。源氏に恋をしたというより手籠めにされ、最期は六条御息所に呪い殺されてしまいますね。ナヨナヨしていればいいというものではありません。強さのない愛や美しさは、決してセンシュアルではないということです。

職業・性別・年齢といった、属性に左右されない色気がセンシュアリティと申しました。年齢については、経験を重ね教養を積んだ大人がよりセンシュアルなはずです。そうとばかりは言えないとしたら、情けない。なにしろ、ちょっと見の美しさなら、薄い顔のツラ一枚だけ若ければいいのです。それをセンシュアルとは申しませんことよ。

普段着の言葉の中に、歴史や文化への深い造詣

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さて、日常のビジネスシーンにも当てはめてみましょう。センシュアルであることは、繰り返し述べているように、強さであり、そして勇気です。デキる男は自己に確固とした価値観をもっています。だから、付和雷同しないものであり、世間の同調圧力にも迎合しません。強さとは、すなわち自己確立のことをいうのです。

知性や教養は、どこの大学卒とか、成績がどうとか、そんなものではありません。知ったふりした知識のひけらかしは軽薄でしかなく、学んでも思索しなければ知性とは言いません。歴史や文化、あるいは芸術への深い造詣など、一朝一夕で取得できるものではないのです。

私が今まで出会ってきた、色気のあるいい男たちは、いずれも哲学に文学、重厚な古典について該博な知識をもち、そのことを高声広言ではなく褻形(けなり:普段着)の言葉の中に使い込んでいました。そういう人たちは、間違いなく話していておもしろいし、いい刺激を受けるのです。人から好かれる、それが「日常性の色気」ではありませんか。

岩本 麻奈 皮膚科専門医

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いわもと まな / Mana Iwamoto

一般社団法人・日本コスメティック協会代表理事。ナチュラルハーモニークリニック顧問医師など。東京女子医科大学卒業。慶應病院や済生会中央病院などで臨床経験を積んだ後、1997年に渡仏。美容皮膚科学、自然医学、抗老化医学などを学ぶ。現在は、パリの中心に居を構え、欧州大手製薬会社やコスメメーカーなどのコンサルタントを務める傍ら、さまざまなメディアを通して美容情報を発信中。3人の成人した息子がいる。著書は『女性誌にはゼッタイ書けないコスメの常識』『パリのマダムに生涯恋愛現役の秘訣を学ぶ』ならびにその携書版である『生涯恋愛現役』(以上ディスカヴァー・トゥエンティワン)など多数。オフィシャルブログはこちら

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