数百メートルの間を何度も何度も往復してヘトヘトになりながら必死に伝言を届ける。しかし、みっちゃんが折れないので、兼家がしだいに不機嫌になり、「お前の伝え方が悪い」と怒り、母親も「お前は頼りない」とイライラする始末。らちが明かないので、兼家が京都に帰ろうとするとき、耐えられないので一緒に連れて行ってほしいと頼むもあっさりと拒否されてしまう。しくしく泣きながらあきめる道綱……。
ほかの兄弟に比べて道綱は出世がかなり遅かった。父親のような政治的な才能に恵まれず、母親のような文学的な才能も遺伝しなかったそうだが、子どものときにこんなトラウマがあったのか、と同情してしまう。
そして「蜻蛉日記」は幕を閉じる
夫婦のやり取りはしばらくが続くが、とうとう974年12月の大晦日、兼家の訪れが完全に途切れてしまったときに日記は幕を閉じる。
この時代、夫に振り回されてもジッとしていた女性がほとんどだったが、みっちゃんは違った。嫉妬を飼いならして、友達にすれば、それは色ごとにとってこの上のない刺激物になったかもしれないが、ツンデレでプライドの高い貴婦人はその感情を器用に処理できなかった。夢を見ていた結婚生活を手に入れるために、ボロボロになりながら、さまざまな相手と戦い抜いた。最後は負けてしまったかもしれないが、緊張感あふれる、ハラハラ、ワクワクする対決を見せてくれた。
絵巻や屏風などで見る、目が細くて、おちょぼ口で、黒髪に包まれている女たちから、個性や表情を感じとることは難しく、みんな同じに見えてしまうことがある。しかし、遠い昔、薄暗い部屋の奥深くでひっそりと生きていた女たちの中で、こんなに熱くて、はっきりとした性格を持った人がいたと知ると、ときめきを感じる。
長年の結婚生活に終止符を打って、道綱母はその後どのような生活を送ったかは、誰もわからない。しかし、はっきりと言えるのは、彼女の想いと情熱はカゲロウのように消えるどころか、今でも私たちをざわつかせるど同時に引きつける。
「こんな女に絶対なりたくない!」と思いながら『蜻蛉日記』を本棚に戻すが、今回もお気に入り箇所に貼っている付箋が少し増えた。そして、ここだけの話、今回も自分に似ているところをたくさん発見してしまった。
どんなに社会や風習が変わろうが進化しようが、胸の中に渦巻く愛情や嫉妬、怒りや情熱といった感情は薄まることなく、後の時代を生きる人にも伝わる。そして、愛はすべてに打ち勝つのかもしれないが、怒りも時代を飛び越えて燃え続けるものだということを、道綱母は知っていたのである。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら