いい男を落とすのに必死だった平安レディス
人の数ほど愛の形がある。男女間、親子間、兄弟間。静かに流れゆく恋も、激しく盛り上がる禁断の恋も。愛する人が1人じゃない人もいる。複数の人を愛せる人、それだって愛。この地球上に人間が残した足跡を追って歴史をひもといてみると、どの時代においてもなにかしらの形の愛がある。しかし、本質的なところが変わらなくても、愛情の行動とそれにまつわる表現は時と場所によって大きく変化し、いろいろな軌跡をたどって形成されている。
前回の話からもわかるように、中世イタリアでは男性がしばしば求める女を天国の創造物と比較する。遠くから見つめる女性に限った話だが、みんな天使である。そのせいか、女性が近くにいたらとりあえず褒めればいいと思ってしまう節があって、イタリアの男性がまくし立てる愛の言葉の半分ぐらいは社交辞令、ほとんどの場合は反射的に口から出てくるでまかせである。一生をかけてその信憑性を確かめるというのはイタリア女性の宿命だ。
やむをえず、見られる側に徹していたので、昔の彼女たちの言説は永遠に失われ、たくさんのドロドロとした物語が闇に葬られてしまった。一方、昔の日本はこれと真逆だった。イタリアが男性優位のモノローグ式恋愛だったのに対して、日本は会話式恋愛、しかも、女性のほうが上手だったことが多い。
平安時代での恋愛は政治と権力が絡んでいたので、みんな真剣。競争も激しく、壮絶な相手の奪い合いが繰り返し展開されていたのだが、勝つには厳しい教育によってピカピカに磨かれたセンスが必須だった。
平安のレディスは10代から積極的に恋愛市場に参加していたのだが、それに必要な準備もしっかりしていた。『万葉集』や『古今和歌集』をはじめ、メジャーな歌集の作品を丸暗記。ポピュラーな物語や日本文学の下敷きになっている中国文化の基礎知識や絵画に精通し、琴も自由自在に操っていたのである。
自らの妄想に生きたダンテ先生もそのような秀才ぞろいだったら遠くから見つめるだけで満足しきれなかっただろう。そこで、彼に聞かせてあげたかった平安の「名やり取り」を厳選してお届けしたい。
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