この文を書いているのは、言うまでもなく、この連載ではおなじみの『蜻蛉日記』の筆者藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)だ(「夫の浮気」と21年間闘い続けた女の恨み節)。
そのウザさ全開の口調がトレードマークになっているので、数行を読んだだけで頭がくらくらする。新しい恋人に気を取られて、まったく興味を示さない夫の兼家に対して恨みつらみを直接ぶちまけて、がみがみねちねち。
蜘蛛のように、洗練された言葉の糸を念入りに縫って男を落とし込む和泉ちゃんと正反対の性格がそこにある。愛の苦しみはその沈黙と饒舌の間に潜む。素直に兼家の限られた愛情を受け入れることも、彼を完全にシャットアウトすることもできず、21年間の悶々とした日々がリアルすぎて怖い。
小野小町を口説いたプレイボーイ
秋の野に笹わけし朝の袖よりも逢はでぬる夜ぞひぢまさりける
見るめなきわが身をうらとしらねばやかれなで海人の足たゆくゝる
秋の野に笹を分けて朝帰りの袖よりも、貴女に会えなかった夜の方ほうが涙でびっしょりだよ
いくら言い寄られても逢うつもりはないって何回言えばわかるの。海藻が生えない浦だと気づかず、通い続ける海人と同じ、足がだるくなるだけよ。
これは『伊勢物語』の一節だが、この2つの首は『古今和歌集』にも掲載されていて、それぞれ在原業平と小野小町の歌とされている。つまり平安京の最も有名なプレイボーイが当時のファムファタールとして名を馳せた小町を口説いて振られたという流れ。
「色好み」というのは、情事を好むという意味で使われているが、『伊勢物語』の中でほとんどの場合、「昔男」の代名詞のようなものだ。しかし、このエピソードでは逆で、つまり女性のほうが恋の上手であることを示している。恋してなんぼの世界が演出されているので、じらした揚げ句に相手を容赦なくからかっているというのは、この上ない勝利の証しだ。
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