其の一 恋愛プロならではの話術
おほかたにさみだるるとや思ふらん 君恋ひわたる今日のながめを
しのぶらんものとも知らでおのがただ身を知る雨と思ひけるかな
【イザ流圧倒的意訳】
こんな雨の日に、どうしているのかな……ただの雨だと思っているかもしれないが、貴女に会えない俺の涙だからね
あら、ちっとも知らなかったわ。愛されていない自分の情けなさを知らせる雨だとばかり思っていたのに……
「身を知る雨」は愛のバロメーター
駆け引きの女王、和泉式部と敦道親王との贈答歌。今でさえ雨の時に外出するのは面倒だが、平安時代は本当に大変だった。道がきちんと舗装されていたわけではないし、牛車もびしょびしょになるし、途中で何が起こるかわからない。降り続けている雨を眺めて、1人ぼっちで訪れを待っている女性がきっと心細いであろうと思った敦道親王は便りを送る。気が利く男性はいつの時代だってモテるんだと納得。
しかし、恋愛マスターの和泉式部はその気持ちに少しねじりを入れて返している。そのカギとなるのは「身を知る雨」というところだ。この表現は、在原業平がある女性のために代作した歌に由来している。雨が降っているから会いに行こうかどうしようか迷っているという恋人の歌に対して、在原業平は、「かずかずに思ひ思はず問ひがたみ身をしる雨はふりぞまされる(あなたの愛はその程度だね、わが身の程を知る雨がどんどん降ってくるわ!)」という返しを書いた。
以来、その「身を知る雨」は、雨が降っても会いに来てくれる本物の愛情なのか、霧雨ごときですっぽかしてくる遊び人なのかを見極める愛のバロメーターという意味を持つことになる。
敦道親王はもちろんそのエピソードを知っているはずなので、このやり取りでは男はストレートに言い寄り、女ははぐらかすという見事な駆け引きが演出されている。そして、表面的に反発しているように見せているものの、雨の中だろうが、どんな状況だろうがいつでも会いに来てほしい、という意思表示が強く表現されている。この返しを読んだ敦道はすぐさまキュンキュンしながら牛車に乗り込んだだろう。
其の二 嫉妬に狂った女の恨み節
また二日ばかりありて、「心の怠りはあれど、いと事繁きころにてなん。夜さり物せんにいかならん、おそろしさに」などあり。「心地あしきほどにて、えきこえず」と物して、思ひ絶えぬるに、つれなく見えたり。あさましと思ふに、うらもなくたはぶるれば、いと妬さに、ここらの月ごろ念じつることを言ふに、いかなる物とたへていらへもなくて、寝たるさましたり。聞き聞きて、寝たるがうちおどろくさまにて、「いづら、はや寝たまへる」と言ひ笑ひて、人わろげなるまでもあれど、岩木のごとして明かしつれば、つとめて物も言はで帰りぬ。
【イザ流圧倒的意訳】
また2日経って、「会ってないのは確かに俺のせいだけど、仕事が忙しくてね。今夜行こうと思うけど、どうかな? おそるおそる」という手紙が来た。「気分がすぐれずお答えできません」と返事してあきらめていたのに、平気な顔をして現れた。こっちが呆れているのにけろっとしていちゃついているので、憎たらしく、ここのところ我慢に我慢を重ねてきた恨みをぶちまけてみたが、返事は一切なく、寝たふりをする。私が黙ると、今ふと目が覚めたかのように「もうお休みかね」と言って笑い、みっともないぐらいいちゃついてくるけど、その手に乗るまいと思って、身体を固くして一晩を過ごした。朝早くあの人は一言も言わず出ていってしまったわ。
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