われわれ現代人の感覚では、愛しい人との別れほど苦しいものはない。正直に言って、そこまで愛おしく思っていない相手にでさえ、いきなり別れを切り出されるのはつらいものだ。しかし、別れるよりずっと耐え難いことがある。それは、ひたすら待つことである。
一夫多妻が当然で、しかも通い婚というかなり不安定な制度に身を置いていた女性陣からしてみれば、相手が来るかどうかもわからず、不安にさいなまれて待つ長い夜のほうが、会えて別れるよりずっと心細かったことであろう。
10数枚のえりすぐりの着物を重ねておめかしし、何時間も几帳の陰にじっと身を潜める。ささいな音も聞き逃すまいと耳をすませ、嬉しさがこみあげてくるなり、次の瞬間は失望落胆。心の中はまさにジェットコースターのようで落ち着かない――。
「あいつを呪う女」という新ジャンルを築いた
古代の物語から現代の小説に至るまで、日本文学は男の不在を嘆き、待ちわびている女性の姿であふれている。そのかわいそうな女たちの頂点を極めたとされるのが、この連載でおなじみの藤原道綱母である。当代きっての女たらし夫・藤原兼家を21年間も無駄に待ち続けて、彼の牛車が自らの屋敷を素通りする音を聞き分ける超能力まで身に着けた大物だ。
「嫉妬の権化」と思われてしかるべきな言動が常態化し、その結晶である『蜻蛉日記』は、「恋人を待つ女」という領域をはるかに超えて、「あいつを呪う女」という新たなジャンルを確立したと言っても過言ではない。
『蜻蛉日記』は記念すべき日本初の私小説、女性が女性のために書いた初の仮名文学日記だが、印刷技術が存在しない時代にもかかわらずたちまち平安の世に流布した。心の奥底に誰しも持ち合わせている嫌な部分を何一つ隠さず描き切った道綱母の勇気に感服、よくぞ言ってくれた!と当時の女たちのみならず、いまだに振り回されている私たちも思うのがこの作品の最大の魅力だ。
当時一世を風靡した妃や女官、女御や更衣がひそひそしながらその「呪いのマントラ」を書き写していたという光景を想像するだけでワクワクしてしまう。多くの読者の心を奪った『蜻蛉日記』だが、その中には、道綱母の気持ちにシンクロして感動するだけにとどまらず、彼女の怨念に新しい命を吹き込んで、物語の世界の中で蘇らせた人がいる。
それはいうまでもなく、紫式部大先生である。
『蜻蛉日記』が、『源氏物語』に多大な影響を与えたというのは周知の事実である。
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