何百年もしぶとく生き残っているせいか、いわゆる「古典」と呼ばれる作品は抜群の存在感を発しているような気がする。それもそのはず。おびただしい数の手に渡って現代まで届けられた作品は、時代がどう激変しようとも、忘れられることがなかった貫禄のある代物ばかりだ。
現代人にとって古典自体はごく当たり前の存在になっているかもしれないが、私の本棚にたどり着くまで、さぞ壮絶な旅をしてきたのだろうと、隙間なく並んでいる背表紙を眺めながら思わずにはいられない。誰かの手によって注意深く書き写され、誰かが退屈しのぎにそのページをめくり、誰かのカバンの中でいろいろな土地を訪れ……と、物語の「物語」まで想像しながら妄想にふけってしまう。そして、どこかの田舎の倉庫で埃かぶって眠っている傑作がまだ残っているのではないか、という幻想に心がときめく。
一人の女性が書いた日記に書かれていたのは…
だが、それは単なる夢物語ではなく、本当に起こりうる話だ。
『とはずがたり』が日の目を見たのはなんと1938年だった。考えるだけで文学ヲタクの胸が膨らむ、まさかの幻の「新しい古典」だ。
山岸徳平という研究者が宮内庁書陵部(当時は図書寮)の地理書を整理中に偶然掘り出したのだ。宮内庁書陵部は皇室を中心とする文書が約35万点も収蔵されているらしいので、ものすごい数の中でよくぞ見つけてくれたという奇跡。書物リストに紛れ込んでいた少し変わったタイトルの作品が目にとまり、山岸氏が閲覧を申し込んだそうだ。
手に取ってみると江戸中期の写本と思わしく、内容はどうも一人の女性が書いた日記のようだった。山岸氏は思いがけない発見にウキウキしながら、早速活字翻刻にとりかかる。かな書きの句読点のない文章を読み進めるにつれて、鎌倉時代の宮中の秘め事が大胆に描かれているということが明らかになり、地理書に分類されていたのはただの間違いではないかもしれないという疑惑も浮上してくる。
1940年にその発見がいったん発表されるが、内容がセンシティブなうえ、太平戦争開戦間近だったということもあり、1970年代まで本格的に研究されることはなかった。つまり、『とはずがたり』がようやく人の目に触れるようになったのは、作成から約700年も後ということになる。
発掘の背景を知っただけでも興味をそそられるが、文学的価値、そしてストーリーの面白さも期待をはるかに上回るもので、一度その世界に入ったらどっぷりハマってしまうという不思議な魔力を宿す一冊だと言える。
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