恋敵を呪い殺す「最強嫉妬女子」が見せた純情 あの『蜻蛉日記』も真っ青な『源氏物語』

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さて、再び『源氏物語』へ。葵の上との車争いの一件でかなり侮辱を受けた御息所は体調を崩す。しかし、それでも源氏の君は一切顔を見せず、他人行儀な手紙を送るだけだった。それに対して御息所はこんな歌を返す。

袖ぬるる こひぢとかつは 知りながら 下り立つ田子の みづからぞうき
【イザ流圧倒的意訳】
涙をいっぱい流して損する恋だと知りながらも、泥の中に踏み込む農民のように茨の道に踏み込んでしまうなんて、私が愚かだったわ

なんて切ない!「こひぢ」は「泥」と「恋路」の掛詞。「みづから」は「自ら」と「水から」を掛けていて、「うき」は「浮き」と「憂き」を掛けている。そして、理性を吹っ飛ばす感情の嵐と汚い田んぼという正反対のイメージを用いることで、自分と源氏の君がこの関係に投資した気持ちの差を表している。一見シンプルに見えて、さまざまな工夫が施されている上級の歌も、歌人として絶賛されていた道綱母を彷彿させる。

紫式部から凶暴な女たちへのオマージュだったのか

御息所はこのあと葵の上や紫の上も呪い殺す。愛を追求するあまり、自分自身をコントロールできなくなり、気が付かないうちに魂が何度も自らを抜け出して一人歩きし、他人を傷つけ、死に追いやる。その行動を制御することはできず、後になって自ら引き起こした悲劇に気付き、ショックを受ける。恐ろしくて切ない。

紫式部自身は御息所と同じぐらい嫉妬したことがあるのだろうか。恋敵を殺したくなるほど、深い愛情と裏切りを体験したことがあるのだろうか。それとも、恋愛経験が乏しいとされている天才作家の紫は、『蜻蛉日記』や失われた昔話の狂暴な女たちへのオマージュとして御息所を創造したのだろうか。

道綱母もまた、21年にもわたる長い間、兼家以外の男性に想いを寄せることは一度たりともなかったのだろうか。どうしたらあんな長い時間、神経衰弱ギリギリな状態で生きていられたのか。

女たちの根深い嫉妬はさまざまな物語を生んだ。その切実さと恐ろしさがリアルすぎて、どれが真実の記録で、どれが想像上の産物なのかを確かめるすべはない。妄想と現実の境界線はいつだって薄くてもろい。しかし、ウソか誠かがわからないままでも、道綱母のように「嘆きつつひとり寝る夜」を過ごしている間、その言葉こそが傷ついた私たちの心を癒やし続けるのである。

イザベラ・ディオニシオ 翻訳家

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Isabella Dionisio

イタリア出身。大学時代より日本文学に親しみ、2005年に来日。お茶の水女子大学大学院修士課程(比較社会文化学日本語日本文学コース)を修了後、イタリア語・英語翻訳者および翻訳コーディネーターとして活躍中。趣味はごろごろしながら本を読むこと、サルサを踊ること。近著に『悩んでもがいて、作家になった彼女たち』。

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