しかし、33歳でウィーンに独り飛び立ったとき、そんなノンキなことを言っていられないと、彼の地で思い知らされました。(当時はまだ人種差別もありましたから)とにかく「言葉尻が厳しい、きつい」などでは表現できないほど、役人も、不動産屋も、店員も、一般市民も、私に対して高圧的で攻撃的であり、私は毎日、頭ごなしにしかられているという思いでした。相手のまくしたてるドイツ語がわからないと、嘲笑され、相手にならないと軽蔑され、そのうえ、街では相手に一歩も譲らないケンカをしょっちゅう見かけ、とにかく「そこで」生きていくためには、これに慣れねばならないと実感しました。
「不合理」を生き抜く二つの方法
ただ慣れるだけではダメです、そこで「人間としての最低のプライドをもって」生活しなければならない。トラブルが生じるたびに、相手はそれまでの社交的ニコニコ顔を仮面を剥がすように取り去って、真顔でうそを言い、「自分は全然悪くない! あなたが悪い!」と詰め寄ります。まったく自分が悪いのに、「警察を呼ぶ!」と何度、怒鳴られたことでしょうか? 初めは、こんな不合理なことがあっていいのか、と不思議な思いでしたが、そういう「文化」なのですから、私が個人でそれを変えることもできず、そこを去ることもできないとすれば、道は2つしか残されていません。
① 自分の信念を貫き、濡れ衣をも差別をも甘受して、ウィーンで自滅していく道
② 自分を変えて彼らのように強くなり、「即席ドイツ人」になる道
私は当然、②の道を選びました。なぜなら、私はウィーンでドクター論文を書く目的があったからです。その目的を達成しなければ、その後、まともに生きていけないと思ったからです。
カネが湯水のようにあり、どんなにだまされても相手を責めないという人はともかく、①の道をとることはほとんど不可能です。なぜなら、彼の地では人はよくだますからであり、そのうえ、わが国では考えららないような間違いをしょっちゅうするからです。そして、対立したときの態度がすごい。(殴る蹴るの暴力はめったにありませんが)大声を上げこぶしを振りかざして、こちらに挑みかかってくることもあります。そういうとき、抵抗せずに相手の言うなりになっていますと、おカネはどんどん失われ、ガスも電気も水道も止められるかもしれず(役人が驚くほどの間違いをする)、銀行に預けていた貯金もなくなるかもしれず(銀行も初歩的ミスを犯す、1度は両替のために渡したお札を数え間違えて1万円少なかった、1度は家主に振り込んだカネがコンピュータの誤操作により振り込まれていなかった)、それどころか濡れ衣で警察に捕まるかもしれず、つまり生活ができなくなる。
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