私ももう老人ですから、精神力も体力も衰え、そういう自分の「悪への適性」を反省する毎日ですが、それでも「弱い人」に対する同情は持たないようにしています。あなたのように、上司にきつく言われることに耐えられない人は、概して相手は鈍感で悪い人であるとしながら(それはそうかもしれない)、自分は「正しい」と思い込んでいる。このところが、どうしても私の(倫理観というより)美学に合わない。
「弱い人」も加害者である
ちょっときついことを言いますが、実は「弱い人」も同じように悪く、それどころか同じような加害者なのです。弱い人は「強い人は弱い人の気持ちがわからない」と言って嘆きますが、弱い人も強い人の気持ちをわかろうとしないのです。そして、頭からそれを嫌悪し拒否しているのです。これって、はっきりした暴力ですよね。弱い人が、強い人の高圧的姿勢を嫌うように、強い人は、弱い人がすぐ弱音を吐き、すぐ顔を歪ませ、すぐあきらめ、すぐ謝る……このすべてを嫌っているのかもしれません。そんな見解は認められないのなら、強い人も「言葉尻が厳しい、きつい、嫌らしい」というあなたの見解は認められないのではないでしょうか? 少なくとも、この程度のことにおじけづくような人こそ間違っている、と「思う」権利はあるのではないでしょうか?
ではどうすればいいか? 上司は「悪い」に決まっているのです。日本のどこかに仕事もでき、優しく、人間的にも尊敬できる上司はいないかと探し回っても無駄でしょう。あらゆる職場にいるのは(私がいい例ですが)悪い上司だらけであって、そのうえ悪い先輩はうじゃうじゃいて、それを嫌がっていたら、あなたはあらゆる会社を辞めるしかありません。
我慢するのでもなく、上司を直すのでもなく――ではどういう道が残されているのか? ひとつだけ残されています。あなた自身が強くなる道です。あなたが強いことを相手に思い知らせる道です。自分をいじめたら、相手が大損害を受けることを知らせる道です。会社とは道徳的共同体ではないのですから、上司とは思いっ切りドライに功利的に振る舞い(権力関係なのですから、全力で勝つように努力し)、同時に信頼する仲間を作って絶えず上司の悪口に花を咲かせる、という生活がいいのではないか、と思います。
今回のご相談に関係する拙著として、『ウィーン愛憎』(角川文庫)、『善人ほど悪い奴はいない』(角川oneテーマ21)、を挙げておきましょう。
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